「あんた、あたしのそばから離れちゃならん、ていま考えよったとやろ?」 「うむ」 「今まで通りで、よかよ。病気じゃなかけん。あんまりやさしくさるっと、子がびっくりするけん」 「わかった」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「あんた、今度は仕事のことね?」 「お前、俺の頭ん中が、見えちょっとか?」 「そりゃ、女房やけんね」 「恐ろしか。ほかのおなごに懸想でもしよったら、それもお見通しか?」 「あんた、守り刀、持っとろうが。延寿国村とかいう銘刀。あれでこうたい」 「おお、考えただけでも、身が竦みよる」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「俺はおまえの亭主じゃけんな」 「だから、どうした?」 「殺しちゃいかんとよ」 「殺ろさん程度にやる。もう二度と、ほかの女に目ばむけん、と身に沁みる程度に」 「まだ、やってもおらん。賭場がひとつ増えちょるけん、俺は多忙なんよ」
◎ なんと小気味のいい会話なんだと思う。自分ではもう使えないが、小学校に上がる半年前から3年生を終るまで
九州の若松で毎日、耳にした物言いとアクセントが今も好きだ。
会社勤めの時ずっと工場内や港湾の機械設備を販売する営業だった阿智胡地亭は、
東京勤務でも大阪勤務でも 全国あちこちの会社や工場に行って、そこで会うお客さんの中に北九州出身の方がいると話をするのが楽しみだった。
今も居酒屋なんぞで、どこかで少しでも九州の物言いが聞こえると、つい耳をすませてしまう。
それを言い出せば、自分が暮らしたことがある伊予の物言いも、安芸の物言いも、伊勢の物言いも、みな耳をすませてしまうのだが・・・
堺屋太一の朝刊小説「チンギス・ハン」が終った後、北方謙三の「望郷の道」が始まった。
以前にもまして日経の朝刊を開くのが楽しみだ。読んでいるあいだ中、九州弁にどっぷり漬かる事が出来るからだ。
註:望郷の道(61)から地の文章を除き、会話文のみを引用。
2007年10月08日(月)「阿智胡地亭の非日乗」掲載
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