阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

結果的にただの風邪だったが、発熱したがどこの病院もお医者さんも誰も相手にしてくれない診療拒否にあった人のつい最近の体験。

2022年05月17日 | ゲストルーム
本ブログの読者の方から ごく最近の体験談が寄せられたので 皆さんに ご紹介します。
 
☞引用開始 「GW明けに発熱、のどの違和感を感じた。翌日龍角散を服用したが改善せず、3日目は静養した。
4日目はゴルフの予約が入っていたが37.5度あったのでキャンセルして病院に行くことを決めた。
 
20年お世話になっているAクリニックに電話して診察してもらえますかと打診したら、時節柄PCR検査を受けなさいとのこと。
PCR検査をやっている病院を教えてもらったがいずれも小児科だった。
 
自分で車で30分のT州総合病院の発熱外来を見つけて電話した。
 
40分後に検査枠があいているというので予約、大急ぎで準備して出かけた。
指定された入り口は大きな建物の端の小さなドア、中に入ると仕切られた待合室と隔離診察室だった。
 
看護師による問診があり、その後先生の診察を受けたが問診だけだった。
聴診器による診察、レントゲン、CT、血液検査など一切なし。
PCR検査を受け結果は本日3-4時に電話で連絡しますとのこと、薬も処方されなかった。
会計は看護師がビニール袋に入れた請求書を持ってきたので代金を入れた。
4時前に病院から連絡があり陰性だった。ほっとした。
 
 翌日も熱が下がらないのでT州総合病院へいき、PCR検査で陰性だったので内科を受診したい
と申し出るも再度発熱外来を受診しろという。
再度受診しても問診だけで昨日と変わらないだろう、おかしいと言い争いになった変わらず。
PCR検査の陰性証明だけを入手して帰宅した。
 
帰宅してAクリニックにTELして状況を説明して再度受診をお願いした。
 
 結果は発熱者の受診はやっていない(簡単に言うと拒否している)、
今ほとんどの病院は同様の対応だという。
 
そうであれば市販の風邪薬等で自分で対処しろということかと聞くと先生に処方してもらうのが
良い、もう一度発熱外来を受診して薬を処方してもらうようお願いしては?とのアドバイス。
もう一度受診しても薬を処方してくれる確約はないので家にあった解熱剤を飲んで静養した。
夕方には36.5度まで下がった。翌朝は36.1度まで下がった。
 
(今回の教訓)
T州総合病院に行ったが実は同じ敷地内のプレハブ小屋で問診を受けた。
 
検査機器や会計のある病院は立ち入り禁止で病院の機能、サービスは提供していないということ。
 
このように整理すると話はスッキリする。
 
心ある病院のHPに 発熱外来は病院の機能を守るためにある(つまりは患者のためにあるのではない)
 
急な発熱の8割は単なる風邪であるが2割は重症化を招く臓器疾患等に原因がある。
2割の患者の診察、検査、処置が置き去りになっているとあった。
 
コロナ対策を十分に行うと同時に「単なる風邪対策」もやっておかないと大変なことになります。
発熱すると病院もお医者さんも誰も相手にしてくれません、酷い世の中です。
 
今回の騒動で診療拒否という現実があり、自分がその立場にいたということを
理解するまでかなりの時間を要しました。
自分が診療拒否されるなんて考えてもいませんでしたから・・・
 
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当方からの返信☞「大変でしたが 結果として普通の風邪で良かったです。読み進めていて ほっとしました。
 
「心ある病院のHPに発熱外来は病院の機能を守るためにある、急な発熱の8割は単なる風邪であるが
2割は重症化を招く臓器疾患等に原因がある。
2割の患者の診察、検査、処置が置き去りになっているとあった。」
 
これが日本の今の医療の実態ですね。運悪く陽性になった2割の人の中に日本の医療から放置されて
見放されて 死者が出ているということです。
 
今回のいろんな報道で、日本医師会は個人医院の医者の団体と今回知りました。厚生省も日本医師会には指示命令出来ないという報道もありました。
日本医師会はある意味アンタッチャブルの独占利権集団でもありますね。
 しかし 当然お医者さんの中には まずは 必死に現実に患者対応をし続けている大阪のclick長尾医師の病院などもあるのは救いですが
如何せんその数が少なすぎるのが辛いですね。 
 
 日本で今 発熱したら 自分は あたかもどこか未開の国の無医村にいるのと同じという気分になりますね。
 
コロナ禍でこれまで いろんな知らなかった日本の医療業界のありのままの今が見えたような気がします。
 
 
今後のパンデミックで 熱が出たら誰でもいつでもすぐに医者にかかれるように
 どう具体的に日本の医療体制を改善していくのか。
 
残念ながら まだ政府与党も役人も具体的に動いている様子が見えません。
 
また大手新聞テレビも 貴重なスポンサーの医者の業界には 奥歯に物が挟まったようなことしか報じません。
 
 個人的には日本の新型コロナはもっと早く伝染病の2種から5種指定に変えても良かったのではと思います。
 
2種指定の伝染病は患者の窓口が保健所だから 一般医院や医者は 最初に受診をしなくても診療拒否と咎められないので
それをいいことにして現在のあなたが体験した診療拒否が出来る医療状況を守っています。
 
どこに「医は仁術なり」があるのかと言っても始まりません。現実を変える一つの方法は、
コロナ新型を2種指定から5種指定に変えることだと思います。
 
コロナ新型を2種指定から5種指定に変えると一般医院でも患者をみるのを拒否できないので これまで それが嫌で 日本医師会はいろんな手立てで
5種指定変更に反対し 変更させないように 国とメディアに働きかけ洗脳してきたと私は思っています。
 
  日本はこれまでも 世の中の行政の仕組みの不具合で死者が出ると そこで初めて少しはなにか手を打って来た国です。
 
国民が誰か死なないと動かない国の政治家や官僚の偉いさんたちがずっと存在できるのが腹立たしいですが 日本の民はいつまで黙って耐える大人しい善人の群れのままですかね。」
 
コメント (2)
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兵庫県三田市の「エス コヤマのバームクーヘン」を頂いた。本当に美味しいバームクーヘンだった。

2022年05月17日 | ゲストルーム

元の勤務先の友人の安藤さんが ご身内の方の法事で関西から上京されたので 安藤さんと同じ部門だった森山さんと三人で亀戸天神にお参りしてから一杯やりました。

安藤さんから 手土産に彼が現在お住まいの兵庫県三田市の「エス  コヤマのバームクーヘン」を頂いた。

 我が相方も私も「エス  コヤマのバームクーヘン」の事は知っていた。嬉しいお土産を頂いた。

柔らかくて滑らかで口の中でじわっとほどけていく・・。六人家族で頂いたバウムクーヘンはやはり凡百のバウムクーヘンとは別物のおいしさだった。

みな美味しいバウムクーヘンに大満足でした。謝謝!!

  安藤さんは愛媛県の出身で 現役時代は標準・量産機械本部に属し 阿智胡地亭が生まれ育った三重県の四日市市にもおられたことがあるそうだ。

 現役時代お互いに仕事上は全く関係がなかったが 酒と麻雀などで共通の友人たちにつながり 私的にもいろんなことで共通することがあり 今も交流が続いているのがありがたい。

    (奥様は阿智胡地亭も一年生の一学期だけ通った三重県立四日市高校の卒業生と伺っている)。

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エスコヤマのサイトから一部引用

誕生に秘められたオリジナルな物語と味わう「小山流バウムクーヘン 思い出の大きな木」

エスコヤマのバウムクーヘンのほんのりやさしい黄色は、播州地鶏の有精卵の色。兵庫県の山あいにある多可町加美の美しい自然の中で育まれたこの卵は、シェフ小山にとっての"おいしい卵" のルーツとも言える特別な存在です。「この卵があったからこそ、このお菓子が生まれた」とシェフ。小山流バウムクーヘン『思い出の大きな木』には、幼い日のシェフが、加美にあるおばあちゃんの家でカブトムシを捕って遊んだ、夏休みのワクワク、楽しい思い出がいっぱいに詰まっています。分厚い童話の本をイメージした4種類のパッケージには、そんな思い出をベースにした4つのオリジナル・ストーリーが綴られています。丁寧な物作りの心を持つ日本人ならではの感性で焼きあげた、どこか懐かしい卵の風味香る、ふんわり、しっとりしたメイドインジャパンのバウムクーヘン。その豊かな味わいを、このお菓子の誕生に秘められた物語といっしょにお楽しみください。

小山流バウムクーヘン ~おいしさの理由~

こんもりとした黄身が美しい播州地卵
やや大ぶりの赤玉で、割るとこんもりとしたオレンジ色の黄身が鮮やか。この卵が持つまろやかなコクと風味は、そのままバウムクーヘンの味わいとなって表れています。

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堺屋太一が書いた。「東京生まれ東京育ちの二世三世のお坊ちゃま方と、霞ヶ関の仲間内評価だけを気にする官僚とが、地域からも外国からも隔絶した小宇宙に固まっている」

2022年05月17日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ
2007年09月10日(月)「阿智胡地亭の非日乗」掲載

一年半の間、毎朝の楽しみだった堺屋太一の新聞小説「チンギス・ハン(日経朝刊掲載)」が終った。

この小説を書き上げて、彼は9月9日の同紙に「名君の許に賢臣あり」というエッセイを書いている。

エッセイの骨子はチンギスという人の窮地からの強靭な回復力と血族は勿論、モンゴルの他族や他人種など広範な人材の登用と育成をしたことだ。

「・・チンギス・ハン一人の力ではない。最初は家族の、次にはいろんな階層から出た友人知人の、

そして最後にはユーラシアの各地から集まった家臣たちの努力や才覚に負うところが大きい。・・」


「名君は賢臣をつくるのである。」

この小説が面白かったのは、チンギス・ハンを主人公にしてはいるが、わずか7,8百年で変るはずのない人間の感情のぶつかりあいや、

組織の中の人間の意識と行動など現代人と同じ姿が向うに透けてみえたことだった。

彼はこのエッセイをこの文章で結ぶ。

「・・振り返って日本の現状を見ると、各分野とも突出した個性が少ない。特に政治や行政の分野では、失言失態で話題になる人材は多いが、

明確なビジョンや鮮烈な手法で世を刮目(カツモク)させる人物は乏しい。

東京生まれ東京育ちの二世三世のお坊ちゃま方と、霞ヶ関の仲間内評価だけを気にする官僚とが、地域からも外国からも隔絶した小宇宙に固まっているからだ。

今日の日本は、あらゆる既成概念に捕らわれずに斬新な個性に大胆な実行を委せたチンギス・ハンの時代とは正反対である。」

*堺屋太一はかって自ら霞ヶ関の東大出キャリア官僚でもあったし、その後も各地の万博プロデユーサーなどでキャリア連中との付き合いも長く内情に強い。


 奈良県御所市名柄に本籍と実家がある堺屋太一。筆名は先祖が大阪府堺市から谷町筋に移住した店の屋号から取ったという。


 今回の「チンギス・ハン」は先祖代々根っからの町人である、本名「池口小太郎」さんが小説家としてまた一国民として国を憂えて書いた小説でもあった。

それにしても毎朝次の展開がどうなるのか、ワクワクしながら待つものがあった幸せな一年半だった。

なお、次の連載小説は北方謙三の「望郷の道」が始まっているが、この小説は北九州の明治時代の任侠の世界が、

おそらく日本の現代につながる予想をさせてこれまたワクワクさせてくれている。

*「世界を創った男 チンギス・ハン」は書店で発売中。

 個人的なことながら昨9月9日は、かってモンゴル軍が蹂躙したであろうソ連邦ヤルタで、亡父が35年前に客死した命日でありました。)

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5月16日に目に留まったSNS・メディアの記事

2022年05月17日 | SNS・既存メディアからの引用記事

いずれも画像クリックで記事全文に飛びます。

 

 

 

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