阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

大分県・国東半島の「平川農園」さんから頂いたグリーンピースとツタンカーメン。豆ごはんがおいしい。

2022年05月23日 | ある日の肴/夕食

大崎のゲートシテイに向っている車中の錦糸町駅の手前で携帯が鳴った。平川さんから宅急便を送ったという電話だった。

届いたグリーンピースとツタンカーメンは瑞々しくて見事な出来だった。

早速豆ごはんと

グリーンピースとツタンカーメンとベーコンとポテトの蒸し炒めを頂いた。旨かった。

頂いた豆はもう一軒にもお裾分けでまわりやはり豆ごはんを楽しんだそうだ。

    ■ツタンカーメンのエンドウ豆(古代エンドウ豆)とは

●古代エジプトに馳せるロマン

 この濃い紫色のさやをしたエンドウ豆は、古代エジプトのツタンカーメン王の墓から出土した豆の子孫といわれています。

1922年にカーター氏がツタンカーメンの墓を発掘した際に数多くの副葬品の中から見つかったとされ、それを持ち帰ったカーター氏が発芽、栽培に成功し、

「ツタンカーメンのエンドウ豆」として各地に広めたとされています。

 日本には1956年にアメリカから伝わり、古代エジプトにまつわるエンドウ豆として主に学校関係など教育機関を中心に広がったようです。

 3000年も大昔の豆がはたして生きていたのかどうか、その真偽はともかく、ロマンを感じさせてくれるエンドウ豆で、いろいろな種苗メーカーから

「ツタンカーメンのエンドウ豆」として種が販売されています。

●ツタンカーメンのエンドウ豆の特徴と食べ頃の見分け方

 このツタンカーメンのエンドウ豆、蔓の様子は普通のエンドウ豆と変わらないのですが、エンドウの花が白いのに対して、このツタンカーメンのエンドウ豆の花は紫色をしています。そして何よりも、サヤの色が濃い紫色なんです。この紫色は熟すにつれ少し薄れて、地の緑色が透けて見えるような感じになってきます。そうなった頃が収穫時です。引用元

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 グリーンピースとツタンカーメンを宅急便で送って下さった平川さんとは お互い1995年1月の阪神淡路大震災を大阪支社勤務時代に体験した仲だ。

 会社で平川さんが所属した事業本部は東京・田無にあり、私も自分が所属した事業本部が東京・神田だったせいか、

大阪支社の各営業部の社内配置では 二人が所属したそれぞれの営業部は フロアーのはしっこの隣同士になった。

 二人は 出会ってすぐに互いに話をかわすようになり 定時過ぎに在社していて目が合えば 隣のビルの地下にある「小ぼけ」で飲むようになった。

他の人と飲む時より平川さんと飲む時は結構な量の日本酒を飲んでいたような気がする。薩摩人である平川さんは酒も強かった。

 呑み助同士ということで知り合ったが、彼も私も会社の「久富さん」という方をリスペクトしていたのも共通していた。

1997年に阿智胡地亭は大阪支社から広島の中国支社に転勤になったので、現役時代に一緒に飲むのはその時点で終わった。

 初めて飲みだしてから30年近く経ったが、互いにその後 退職してからも連絡を取り合って、機会があれば神戸、大阪、東京と一杯やるご縁が続いているのはありがたい。

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国語教師だった「大村はま」さんは「ノンちゃん雲に乗る」の著者「石井桃子」さんと同年生まれの人だった。

2022年05月23日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ
2008年04月06日(日)「阿智胡地亭の非日乗」掲載
 

石井桃子さんが亡くなった年齢を見て、ふと2005年に亡くなった大村はまさんが同年齢ではないかと思った。調べると早生まれか否かの違いはあるが、同学年のお二人だった。

二人の生涯に共通するのは幼年、少年少女たちに対する「言葉」を通じた働きかけだ。

大村はまさんは74歳まで現役の中学校国語教師として、日々工夫を重ねた国語教育に打ち込んだ。

99歳で亡くなる寸前まで推敲していた大村さんの詩がある。

優劣のかなたに
                    大村 はま

優か劣か  
そんなことが話題になる、
そんなすきまのない
つきつめた姿。
持てるものを
持たせられたものを
出し切り
生かし切っている、
そんな姿こそ。

優か劣か、
自分はいわゆるできる子なのか
できない子なのか、
そんなことを
教師も子どもも
しばし忘れて、
学びひたり
教えひたっている、
そんな世界を
見つめてきた。

学びひたり
教えひたる、
それは 優劣のかなた。
ほんとうに 持っているもの
授かっているものを出し切って、
打ち込んで学ぶ。
優劣を論じあい
気にしあう世界ではない、
優劣を忘れて
ひたすらな心で ひたすらに励む。

今は できるできないを
気にしすぎて、
持っているものが
出し切れていないのではないか。
授かっているものが
生かし切れていないのではないか。

成績をつけなければ、
合格者をきめなければ、
それはそうだとしても、
それだけの世界。
教師も子どもも
優劣のなかで
あえいでいる。

学びひたり
教えひたろう
優劣のかなたで。

                 大村はまさんの人となりはこちらです。

*大村はまさんが新卒の教師として勤めて 初めて受け持った諏訪の二葉女学校のクラスに阿智胡地亭の亡母がいた

 

2008年04月05日(土)石井桃子さんが101歳で亡くなった。

石井桃子さんは私の中では長い間「ノンちゃん雲に乗る」の著者としてあった。

しかし後年知ったところでは「クマのプーさん」や「ピーター・ラビット」の翻訳者であり、また海外のたくさんの児童文学の翻訳をされた人でもあった。

小学校の何年生のときに彼女の創作小説「ノンちゃん雲に乗る」を読んだのかはもう覚えていない。また、どんな内容だったかももう殆ど覚えていない。

ただ、この本を読んで50年以上前に子どもながら初めて知ったことが二つある。

一つは、「いやなんだ、いやなんだ、誰がなんて言っても、私がいやだから、いやなんだ」と彼女が泣きながら言う場面が本の中にあった。

確か、誰でもそれくらいのズルはしているから、それくらいはしてもいいんだよ、とお兄さんか友達が慰めてくれたことに対して、ノンちゃんが言ったのだと思う。

普通で言えばまあ許される範囲のことだから、問題ないよといくら人が言ってくれても、自分はそうするのがイヤだからいやなんだとノンちゃんは言う。

人にはそういう考え方もあるのだと初めて思った。

ことの善悪は親や他人が決めるのではなく、自分が決めるのだと。

二つ目は、「敵ながらあっぱれ」と言う言葉をこの本で覚えたことだ。確かノンちゃんも誰かから聞いて、その意味を問う場面があった思う。

子供心になんといさぎよい言葉だと思った。何回も声に出して言ってみるとますますステキな日本語に思えた。

彼女は明治の終わりに埼玉で生を受けて、男尊女卑の戦前の時代から平成の時代までまっとうにしゃんと生き通した。

本を読んで内容の全部を忘れても、本を読んだ後の自分は読む前の自分とは違っている・・ということが当たっているとすれば、

石井桃子さんの「ノンちゃん雲に乗る」に出会ったのはありがたいことだった。

石井桃子さんはこちら

 
 
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5月21/22日に目に留まったSNS・メディアの記事

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