大崎のゲートシテイに向っている車中の錦糸町駅の手前で携帯が鳴った。平川さんから宅急便を送ったという電話だった。
届いたグリーンピースとツタンカーメンは瑞々しくて見事な出来だった。
早速豆ごはんと
グリーンピースとツタンカーメンとベーコンとポテトの蒸し炒めを頂いた。旨かった。
頂いた豆はもう一軒にもお裾分けでまわりやはり豆ごはんを楽しんだそうだ。
■ツタンカーメンのエンドウ豆(古代エンドウ豆)とは
●古代エジプトに馳せるロマン
この濃い紫色のさやをしたエンドウ豆は、古代エジプトのツタンカーメン王の墓から出土した豆の子孫といわれています。
1922年にカーター氏がツタンカーメンの墓を発掘した際に数多くの副葬品の中から見つかったとされ、それを持ち帰ったカーター氏が発芽、栽培に成功し、
「ツタンカーメンのエンドウ豆」として各地に広めたとされています。
日本には1956年にアメリカから伝わり、古代エジプトにまつわるエンドウ豆として主に学校関係など教育機関を中心に広がったようです。
3000年も大昔の豆がはたして生きていたのかどうか、その真偽はともかく、ロマンを感じさせてくれるエンドウ豆で、いろいろな種苗メーカーから
「ツタンカーメンのエンドウ豆」として種が販売されています。
●ツタンカーメンのエンドウ豆の特徴と食べ頃の見分け方
このツタンカーメンのエンドウ豆、蔓の様子は普通のエンドウ豆と変わらないのですが、エンドウの花が白いのに対して、このツタンカーメンのエンドウ豆の花は紫色をしています。そして何よりも、サヤの色が濃い紫色なんです。この紫色は熟すにつれ少し薄れて、地の緑色が透けて見えるような感じになってきます。そうなった頃が収穫時です。引用元。
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会社で平川さんが所属した事業本部は東京・田無にあり、私も自分が所属した事業本部が東京・神田だったせいか、
大阪支社の各営業部の社内配置では 二人が所属したそれぞれの営業部は フロアーのはしっこの隣同士になった。
二人は 出会ってすぐに互いに話をかわすようになり 定時過ぎに在社していて目が合えば 隣のビルの地下にある「小ぼけ」で飲むようになった。
他の人と飲む時より平川さんと飲む時は結構な量の日本酒を飲んでいたような気がする。薩摩人である平川さんは酒も強かった。
呑み助同士ということで知り合ったが、彼も私も会社の「久富さん」という方をリスペクトしていたのも共通していた。
1997年に阿智胡地亭は大阪支社から広島の中国支社に転勤になったので、現役時代に一緒に飲むのはその時点で終わった。
初めて飲みだしてから30年近く経ったが、互いにその後 退職してからも連絡を取り合って、機会があれば神戸、大阪、東京と一杯やるご縁が続いているのはありがたい。