阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

東京都北区にある旧古河庭園のバラ園が3年ぶりに公開された。   その二      バラ園続き

2022年05月20日 | 東京あちこち

プリンセス・ミチコ

イングリッド・バーグマン

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80歳になると、そう思えてくる      「私の履歴書」で田淵節也さんが書いたこと

2022年05月20日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ
2007年11月29日(木)「阿智胡地亭の非日乗」掲載
 

「人間の器量の大きさを指す「清濁併せ呑む」というのは好きな言葉だ。世の中には善い人間もいれば、悪い人間もいるが、本当に判別できるものなのか。

何が清で何が濁か、人間には分らない。神様だけがご存知で、評価はうんと後になってから分る。

昔、運動選手は水を飲むなと言われたが、今はどんどん飲めと言うように変わった。奇麗事では商売にならず、奇麗事そのものも変わるから、奇麗事では誤魔化せない。

ゴタゴタするとその時は嫌だなと思うが、振り返るとそれが人生で、そういうことが楽しかったのだろうと思う。人間、八十歳になると、そう思えてくる。」

      ☝ 日経朝刊2007年11月29日付「私の履歴書」田淵節也より部分引用。

 日経の「私の履歴書」は一ヶ月の間、毎日連載されるだけに、書く人の人間性がもろに出るのが面白い。

鎧を着たまま、あるいはきらびやかな衣装を着たままで最後まで終わってしまう人がいるかと思うと、まだ関係者も生きているのにここまで書いていいんかいと思うような人も時にいる。

野村證券の社長をしたこの田淵さんの回は、人間やはり「勝てば官軍」だと思いながら読んだが、

もう時効になったからと当時の大蔵省とその護衛船団銀行群を相手に対峙した、証券業界のリーダーの志と行動を問わず語りに述べていて面白かった。

「どんな家に生まれ、どんな育ちをしたかは本人の預り知らぬことである」にしても、社会人になり証券マンの一歩を大阪支店から始め、

広島支店、尾道営業所(ここで職場の女性と結婚)と移動しながら、ついにはトップに上った人間と、そうならなかった殆どの野村證券マンを別ったのは何なのだろう。

この連載から想像する田淵像は、若いときから相手によって態度を変えることをせず、ある世界観を持って仕事をした人のように思える。

そして時代や状況の変化に柔軟に対応している。中国、満州、朝鮮など外地生まれ外地育ちの人にそういう人が時々いるが、田淵さんも朝鮮で幼少期を過ごした人である。

書き手が会社生活や生きてきた道筋を比較的率直に語った11月の連載は、明日が最終回ながら毎日が新鮮で面白かった。

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5月19日に目に留まったSNS・メディアの記事

2022年05月20日 | SNS・既存メディアからの引用記事

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