阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

チャーハンを肴に日本酒を飲む

2022年05月05日 | ある日の肴/夕食

酒飲みには二種類の人がいる。ツマミがなくても酒が飲める人とツマミがないと飲めないヒト。私は後者だ。私は 何かを口に入れながら飲みたいヒトだ。

口に入れば 酒肴は チャーハンでも 魚肉ソーセージでも キムチでも 味噌でも なにかあれば (乾きもの以外は(笑)*)何でも良い。

 *(乾きもの以外は… 人間80歳ともなれば口中に湧く唾液量が減るらしく 乾きものでは酒が旨く飲めなくなった)

 徒然草 第215段 

平宣時朝臣、老の後、昔語りに、「最明寺入道(さいみょうじのにゅうどう)、ある宵の間(ま)に呼ばるる事ありしに、『やがて』と申しながら、直垂(ひたたれ)のなくてとかくせしほどに、又使来りて、『直垂などのさぶらはぬにや。夜なれば異様(ことよう)なりともとく」とありしかば、萎えたる直垂、うちうちのままにてまかりたりしに

「銚子(ちょうし)に土器(かわらけ)とりそへて持て出でて、『この酒をひとりたうべんがさうざうしければ、申しつるなり。

肴こそなけれ、人はしずまりぬらん。さりぬべき物やあると、いづくまでも求め給へ』とありしかば、脂燭(しそく3)さして、くまぐまをもとめし程に、台所の棚に、

小土器(こかわらけ)に味噌の少しつきたるを見出(みい)でて、『これぞ求め得て候』と申ししかば、『事足りなん』とて、心よく数献(すこん)に及びて、興にいられ侍りき。

その世にはかくこそ侍りしか」と申されき。」

現代語訳

平宣時朝臣が、年老いて後、昔語りに、「最明寺入道(五代執権北条時頼)が、ある宵の間にお呼びになる事があったので、「すぐに」と申しながら、しかるべき直垂がなくてあれこれしている間に、また使いが来て、「直垂などがございませんのですか。夜であるのでどんな格好でも構いません。すぐに」とあったので、よれよれの直垂を着て、普段着のままで参上した所、

「銚子に素焼きの器を添えて持って出て、『この酒を独りでいただくのが物足りないので、来てくださいと申上げたのです。肴が無いのですが、人が寝静まっています。

肴になるような物はないか、どこまでも探してみてください」とあったので、脂燭をさして、すみずみまで探し求めるうちに、台所の棚に、

小さな素焼きの器に味噌が少しついたのを見つけて、『これぞ見つけ出しました』と申し上げた所、『十分です」といって、こころよく何杯も酌み交わして

上機嫌になられた。その時代は、万事こんなふうでございました」と申された。」

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諏訪大社 上社里曳き開幕 心一つ力強く曳行         長野日報

2022年05月05日 | 諏訪便り

2022年5月4日 6時00分      「よいさ、よいさ」と声を上げ、心を一つに御柱を曳く氏子たち=本宮二

諏訪大社式年造営御柱大祭(御柱祭)上社里曳きは3日、開幕した。本宮の社殿の四隅に建てる4本の御柱が茅野市宮川安国寺の御柱屋敷を出発。

人力による力強い曳行で各柱とも予定通りの位置まで進めた。コロナ禍でいつもとは違う御柱祭だが、氏子たちは感染対策に万全を期しつつ、

先人から受け継いだ技術を駆使し力いっぱい御柱を曳いた。

暖かな日差しが降り注ぐ五月晴れの里曳き初日となった。午前7時30分ごろ、御柱屋敷で本宮一(豊平・玉川)の曳行開始と関係する氏子の安全を祈願する

「綱渡りの神事」があり、同8時30分に曳行を開始。氏子たちは木やり衆による気持ちが入った木やりで心を一つにし、力強く曳き出した。

この後、本宮二(原・泉野)、本宮三(宮川・ちの)、本宮四(金沢・富士見)の順に出発したが、当初の予定時間からは遅れ、

本宮四が出発したのは予定より3時間以上遅い午後1時ごろだった。それでも午後4時30分ごろまでには4本すべてが予定の場所に到着。氏子の力で遅れを取り戻した。

御柱迎えの「お舟」の行列は午前10時に諏訪大社上社本宮を出発。茅野市高部の下馬橋を通った所で本宮一と出合った。

沿道からは「お舟」に向かってさい銭を投げ入れる人たちの姿が見られた。

曳行路では御柱をひと目見ようと、多くの人でにぎわった。綱を定期的に消毒する感染対策を取る地区もあった。

里曳きの華で、諏訪市中洲神宮寺区が受け継ぐ奉納騎馬行列は、曳行前の本宮一を迎えた後、御柱を先導する形で進んだ。

すり足で体を上下させて進みながらさまざまな技を披露し、観客を魅了した。長持ちや踊りなども登場し、祭りを彩っていた。

前宮の4本は今回、里曳き2日目に曳行を開始する。4日は本宮、前宮のすべての御柱が両宮の境内に曳き着けられ、5日の建て御柱を待つ。

   写真は「信濃毎日新聞」から引用 記事はこちら

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諏訪大社 下社里曳き期間一般公開 下諏訪宿本陣岩波家        長野日報

2022年05月05日 | 諏訪便り

2022年5月4日 6時00分     明治天皇も眺めたという下諏訪宿本陣岩波家の庭園

下諏訪町横町の下諏訪宿本陣岩波家は、ゴールデンウイークと諏訪大社御柱祭下社里曳き期間中、予約なしで見学可能な一般公開を行っている。

中山道随一とも称される庭園は、ツツジやサツキが青々と色づき、訪れた人たちの目を楽しませている。公開日は4~8日、14~16日。

本陣は江戸時代の宿場で、大名や勅使など身分の高い人が泊まった公認の宿舎。庭園には全国から600個以上の名石を集め、

自然の地形を利用して作庭。四季折々の装いが来場者を迎える。江戸時代末期には皇女和宮が徳川家に嫁ぐ際に宿泊。明治天皇も訪れ、最奥の座敷から庭園の景色を眺めた。

岩波家では公開期間中、所蔵の明治天皇が訪れた際に使用した油滴天目茶碗や、初公開の安土桃山時代の古伊賀焼花瓶なども展示。

28代当主の岩波太佐衛門尚宏さん(50)は「明治天皇もご覧になった座敷から庭園を眺め、滝の音や鳥のさえずりを聞きながら、江戸時代の雰囲気を感じてほしい」と話している。

開門時間は午前10時~午後3時。観覧料は大人500円、子ども300円。問い合わせは岩波家(電話0266・28・7055)へ。

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5月04日に目に留まったSNS・メディアの記事

2022年05月05日 | SNS・既存メディアからの引用記事

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