阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

インド・ネパール・アジア料理 亀戸の「フルバリ」は やはりおいしくて 期待通りだった。

2022年05月06日 | 食べる飲む

図書館から予約本が準備できたとメールが来たので 借用期限が来た本の返却と合わせて出かけた。

図書館を出てから少し足を伸ばして 京葉道路を歩いて新中川橋で旧中川を渡り 亀戸の「フルバリ」へ久しぶりに向かった。

いつもはランチタイムだったので 夜のメニューが楽しみだった。前回のフルバリclick。

 店に着いたのは5時丁度で我々二人が最初の客だった。

デイナーセットではなく アラカルトで頼んだ。いつものジントニックを頼んだら突き出しがサービスで出たがこの時点でもう

野菜のカレー味が旨かった。もちろんパパドのスパイシーな味とパリパリ感も嬉しい。

最初にタンドリーチキンのサラダ たっぷりあって驚いたが二人で結局完食

サモサは量も味も これまであちこちのインド料理店で食べてきたサモサの中でも最高だった。

カレーはマトンとタマネギのカレー  ナンはプレーンナンをオーダー

ナンは使っている材料がいいし その都度焼いてくれるから本当にこの店のナンは熱々で旨い。

 スタッフ三人は ネパール人だが 三人の日本語にはいつも驚く 丁寧語のきれいな日本語が身についている。

この地日本で生きて行くという腹を据えた各国の 沢山の「トツクニビト」が 両国や錦糸町や亀戸、小岩などで海外現地料理の味そのままの店をあちこちで出し

日本流にアレンジしない 現地そのままの味が日本人になじまれてそれらの店が流行っている。

こういう外国の味そのままの店が受け入れられた一つの理由に 彼らの懸命な日本語の習得があるのは間違いない。ほとんどの人は普通に日本語を喋っている。

 おそらくアメリカやブラジルに渡った日本人移民も現地で英語やポルトガル語を必死で身に着けてその地で家族で生きて行ったのだろう。

もう一皿 エビと野菜のピリ辛炒めをたのんだが 大きなエビとたっぷり野菜で大満足だった。

ナマステ!!  本当においしかった!!

 家から歩くには少し遠いが亀戸の東端の このエリアには蕎麦の「愛知」、寿司の「銚子丸」とこのインド料理の「フルパリ」の

店があって二人にはありがたい場所だ。どの店もクオリティーは高い。

(ネットの口コミから引用: フルバリとは花が咲く場所という意味だそうですが、インドネパール系のお店によくある店名です。
全てが同じチェーンというわけではなく、言ってみれば蕎麦屋の長寿庵だったり洋食屋の三好弥だったり中華の来々軒だったり、そんな感じのよくある名前のひとつなわけです。)

 歩行数 7432歩  歩行距離  4.5㎞

 

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諏訪大社  社殿に御柱、天を指す 上社・里曳き最終日 /長野    毎日新聞 

2022年05月06日 | 諏訪便り

毎日新聞 2022年5月6日 6時00分   20人の氏子を乗せて徐々に立ち上がる本宮一の御柱=長野県諏訪市中洲神宮寺の諏訪大社上社本宮で2022年5月5日午後3時8分、宮坂一則撮影

長野県諏訪大社御柱祭の上社里曳(び)きは5日、最終日を迎え、本宮(諏訪市)と前宮(茅野市)の社殿の四隅に建御柱され、五月晴れの下での3日間の祭りが閉幕した。

舞台は14日から3日間の下社(秋宮、春宮=下諏訪町)里曳きに移る。【宮坂一則】

 5日は、朝から本宮、前宮とも冠落(おと)しを行って、先端を三角すい状に整えてから建御柱に入った。

上社御柱8本の中で最大胴回り3メートルと最も太い茅野市の豊平・玉川地区が奉仕する「本宮一」の御柱では、斧(よき)で冠落しを行い、2時間余かけて切り落とした。 

   午後2時半過ぎから建御柱を開始。「皆様ご無事でお願いだー」などの木やりとラッパ、鼓笛が響き渡る中氏子20人を乗せた本宮一が徐々に立ち上がり、境内の熱気が一段と増す。

「よいさ、よいさ」の掛け声と手振りの中、4時ごろに直立した。  

今回も天端乗り「堂々と」 柳平昌志さん

 「てっぺん男」とも呼ばれる垂直に建った御柱の最先端の天端(てんぱ)乗りを務めた、茅野市豊平山寺、本宮一の斧長で建設会社社長の柳平昌志(しょうじ)さん(49)。

2014年に亡くなった父、洋一さん(享年70)も同地区が初めて本宮一を曳行(えいこう)した1992年の御柱祭で副斧長ながら天端乗りを務めた。   

建御柱の先端で手にした御幣を振りながら笑顔を見せる柳平昌志さん=長野県諏訪市中洲神宮寺の諏訪大社上社本宮で2022年5月5日午後2時57分、宮坂一則撮影

「この時は自宅でテレビで見ていましたが、父の姿、格好良かったですね」と柳平さん。尊敬する父の背中を追い「いつかは天端に」と御柱に奉仕をしてきた

4月26日の会合で天端乗りが決定以来毎日、地元の二つの神社と本宮詣でで感謝と曳き建ての無事を願ってきた。

 父の乗る本宮一のビデオを繰り返し鑑賞してイメージトレーニングを積んだ。「親子2代、本宮一の天端乗りはめぐり合わせを感じます」

建御柱では「本宮一にふさわしく堂々と立派に務めたい」と話した通り御幣を手に先端に乗った柳平さんは晴れやかで笑顔も見せた。

諏訪大社式年造営御柱大祭(御柱祭)の上社里曳きは最終日の5日、諏訪市の本宮、茅野市の前宮で建て御柱が行われ、8本の御柱が社殿の四隅に建った。

30年ぶりに諏訪大社社有林の御小屋山(茅野市玉川)から授かり、氏子たちの協力で曳き建てた御柱。

境内で見守る参加者たちは徐々にせり上がる御柱を見ながら充実感に満ちた表情で拍手を送っていた。

二十四節気の一つで夏が始まるとされる立夏の5日は、暦通りの暑い一日に。長野地方気象台によると、諏訪の最高気温は25.5度を観測し、夏日となった。

コロナ禍でマスクをしながらの奉仕となり、建て方も見守る氏子も水分を十分に摂取するよう注意して取り組んでいた。

本宮では前日に曳き着けた本宮一で午前8時20分ごろから建て御柱の神事が始まった。神事後は冠落しとなり、ほかの御柱も続いた。

前宮は前日までに神事が終わっており、前宮三は予定を早めて午前8時10分ごろに冠落しを開始した。

先端を三角すいの形に整える冠落しは午前10時ごろから午後3時ごろにかけて終わり、七五三巻きと呼ばれる伝統の技で御柱に綱が巻き付けられた。

地区で選ばれた氏子を乗せて御柱が徐々に建ち上がると、前日にも増して張りのある声を響かせた木やり、迫力あるラッパや鼓笛の演奏、

氏子たちの「よいさ、よいさ」の声援が境内に響き渡った。

フィナーレのセレモニーでは、巨木を境内に建てる大仕事を終えた男たちに大きな拍手が送られ、何本もの垂れ幕が披露されると、地域の協力に感謝し、

次回の御柱祭に向けたメッセージが氏子たちに伝えられた。

前宮一では、ほぼ垂直に建ち上がった御柱がバランスを崩して大きく傾いたが、事故には至らなかった。

下社里曳きは14~16の3日間の日程で行われる。上社と同様に人力による曳行が予定される。諏訪大社御柱祭は6月15日に上社宝殿遷座祭が行われ、閉幕する。

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今回の 御柱祭の「本宮一」の御柱を 阿智胡地亭の母の里である茅野市の豊平・玉川地区が引き当てて 奉仕したので 今回の御柱祭は阿智胡地亭も力が入った(笑)。

伯父や伯母たちの家々も既に 従兄弟の子の代になって交流も絶えたが かれらも多数張り切って一翼を担ったことだろう。

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5月05日に目に留まったSNS・メディアの記事

2022年05月06日 | 諏訪便り

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