米ABCのテレビカメラマンとしてベトナム戦争に特派された平敷安常さんの自伝的ノンフィクション「キャパになれなかったカメラマン ベトナム戦争の語り部たち」(講談社)が、 第40回大宅壮一ノンフィクション賞に輝いた。 (大宅賞選考委員・藤原作弥さんの評)味わいのある文章でつづられている。平敷さんに話を聞いた。 そうして初稿ができたのが7、8年前です。一緒に働いた放送記者たちに手紙を出したりもしました。 ある記者はイラク戦争と比較して「ベトナムから何も学んでない」という返事をくれました。また当時の日記を送ってくれた人もいました。テッド・コッペル(※注1)です。 ただ、心配だったのは若い人たちに読んでもらえるのかという点でした。登場人物たちは20~30代の若い人だから、青春群像として理解してもらえるとうれしいです。 当時、ぼくもやっぱりそうなりたかったんですね。いい映像を撮って、認められたかった。 周囲からは私と彼の競争が彼を死に追いやったという批判が出ました。そのとき、いろいろ反省しましたね。 キャパにならなくてもいいんだ、と。キャパになりたかったけれど、もうキャパになれなくてもいいんだ、と思いました。 当時、あるベトナム人が言っていました。 沢田教一さん(※注3)もきっと3番目なんでしょう。香港に転勤になっても絶えずベトナムに帰ってましたし。 。日本でもそうでしょうが、新米の記者がすぐにトップの記事を書けるチャンスは少ないでしょう。 私自身、もともとは当時できたばかりの毎日放送の出身で、毎日新聞から来た記者の人たちにいろいろ教えてもらいましたし。 沢田さんがピュリツァー賞を受賞した「安全への逃避」という写真に写った家族を、柳原さんが苦労の末に探し出して記事にするんですね。 あの戦争には社会部の記者が足で探してストーリーにできる、そんな素材がたくさんあったんですね。 そういう意味では報道の自由でした。 あるとき、アメリカの国防次官が来て、記者を集めて「おまえたち、おれたちのチームに入ってくれ。チアリーダーになってくれ」と言うんです。 けれど、ぼくの周囲の記者やカメラマンは、真実を報道する姿勢を崩しませんでした。まずは、ありのままを報道していました。 CBS「イブニング・ニュース」のダン・ラザーやNBC「ナイトリー・ニュース」のトム・ブロコウらとともにアメリカ屈指のジャーナリストとされる。 するとアメリカ人のカメラマンは「BC(ベトコン=ベトナムの共産主義者)」と書くんですね。でも日本人はベトコンという言葉を避けて「NFL(解放戦線)」と書いたり。 それからアメリカ人記者は「enemy(敵)」と言いましたが、ぼくはなるべくそういう言葉は使わないようにしていました。 アメリカの会社と言っても政府とは違う、民放だと言っても、なかなか理解してもらえませんでした。 (政府が)コントロールしやすいようになりました。 しかし湾岸戦争あたりから、コンピューターを駆使したビデオゲームのような戦争になってしまいました。 例えば、ベトナム戦争では、まれなケースですが、北ベトナムの負傷して捕虜になった士官をアメリカ兵が助けるような場面もありました。余裕があったんですね。 彼らに少しでも共感を覚えてもらえればうれしいです。 66年から75年まで米ABC放送サイゴン支局付カメラマン。その後、イラン革命、湾岸戦争、9・11ツインタワー爆破事件などを取材する。06年、依願退社。 ベトナム人妻と1男1女。米国在住。71歳。 |
2009年08月03日(月)「阿智胡地亭の非日乗」掲載
最新の画像[もっと見る]
- 日本酒❝真澄❞の季節の「しぼりたて」を 限定流通ブランド販売店 新小岩の「酒喜屋」で入手した。 7時間前
- 日本酒❝真澄❞の季節の「しぼりたて」を 限定流通ブランド販売店 新小岩の「酒喜屋」で入手した。 7時間前
- 日本酒❝真澄❞の季節の「しぼりたて」を 限定流通ブランド販売店 新小岩の「酒喜屋」で入手した。 7時間前
- 日本酒❝真澄❞の季節の「しぼりたて」を 限定流通ブランド販売店 新小岩の「酒喜屋」で入手した。 7時間前
- 亀戸の台湾居酒屋「梁家小酒館」のランチタイムに食べた❝排骨飯❞がなんとも旨かった。 1日前
- 亀戸の台湾居酒屋「梁家小酒館」のランチタイムに食べた❝排骨飯❞がなんとも旨かった。 1日前
- 亀戸の台湾居酒屋「梁家小酒館」のランチタイムに食べた❝排骨飯❞がなんとも旨かった。 1日前
- 亀戸の台湾居酒屋「梁家小酒館」のランチタイムに食べた❝排骨飯❞がなんとも旨かった。 1日前
- 亀戸の台湾居酒屋「梁家小酒館」のランチタイムに食べた❝排骨飯❞がなんとも旨かった。 1日前
- 久しぶりに降りたった東京駅前に広がる風景は晩秋の装いだった。 2日前
「「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ」カテゴリの最新記事
- 今日からこのブログは20年目に入ります。 初めての日のエントリーのタイトル...
- 昭和33年発行 祖父の俳句集「岱風句抄」から 六句
- ほとけの教えはつぎのとおりである。“猛暑の妄想”。 上出拓郎さんから頂い...
- 映画「BoX 袴田事件 命とは」を観ました。 2010年07月27日(火) ...
- 庭をイタチが走った! YouTube 2016年4月20日掲載
- 神戸市東灘区から 兵庫県の室津を訪ねた 2002年3月 日本...
- 長崎「焼き場の少年」広がる共感 原爆「悲しみ」を発信 [長崎県]、西日本新聞。...
- 長崎原爆の爪痕を残していた浦上天主堂。 解体されてしまった理由は?
- 天皇陛下が靖国参拝を中止されるようになった理由は? 富田メモ ...
- 神戸市東灘区から兵庫県揖保郡の「綾部山の梅林」を見に行った。 2002年...
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます