明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



チャップリンの映画を観たのは、高校性の時、学校で映画館に観に行った記憶ぐらいしかない。今時チャップリンを観せるなんて、ダサイ高校だと思ったものである。チャップリンのギャグなど、ただ古いと思ったし、さらに笑いに泪がくっつくことが大嫌いときているから、なおさらである。 しかし、何作ものDVDを改めて観て、考えを新たにした。その運動神経に感服。バカバカしいギャグさえ面白い。『街の灯』の盲目の少女が、目を治してくれた恩人が、浮浪者のチャップリンだったと知るラストシーンも、すでに使い古されているイメージだと思いながらもウルッときた。これは単に、私もヤキがまわった、という話かもしれないが、良く作られた物はそういったものなのであろう。 小津安二郎の『東京物語』を映画館で観て、葛飾からわざわざ銀座くんだりまで来て、こんなもの見せやがって、と耐えられず、腹を立てながら途中で映画館を出たのも、あの高校生の頃であった。なんだかんだと、時間はかかるものである。

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チャップリンが、ニジンスキーを真似て踊っている場面があるという『サニーサイド』(1919)を観る。私には、とてもそうは見えなかった。 この3年前の1916年。チャップリンは、アメリカ公演中のニジンスキーに会う。二人はお互い認め合っていたというが、その公演中、カール・ストラスというドイツ系米人の写真家がニジンスキーを撮影している。(他の団員をカラー撮影しているが、残念なことに、ニジンスキーのカラーは残していない)ストラスは、後にパラマウントに入社、映画の撮影技師に転じ、『チャップリンの独裁者』(1940)『ライムライト』(1950)を撮ることになる。 そして近々日本に、ニジンスキー像を作り、それを、ストラスが制作したピクトリアルレンズで撮影しようという人物が現れる予定だから、長生きはするべきではないか?しかもそれは、人を呆れさせるのが目的だとか、違うとか。さらには、只今チャップリンを制作中というのだから愉快である。

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