明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



我々の世代には、バラエティー番組でジャズを歌ったり、『モスラ』の悪役などで、ヘンな外人の一人として馴染みのあるジェリー伊東が亡くなった。 ピクトリアリズムなど、大正、戦前の文献や写真集など探索していて見かけるのが、海外で活躍した舞踏家、ジェリー伊東の父親、伊藤道朗である。当時、ダンサーは重要な被写体の一つで、海外の作家も伊東を撮影していて、なかなか興味深い人物である。 以前某、バレエ団理事長に、ジャンプ自慢の伊東が、どれだけ高くジャンプできるか壁を蹴っていたら、翌日、さらに高いところに足跡があり、それがニジンスキーだったという話を聞いたことがある。バレエダンサーの草分けでもある薄井憲二先生にうかがうと、伊東道朗は、いささか“吹き癖”がある人物らしく、つまり眉唾な話なのであった。 ニジンスキーに勝ったとまで言わなかったところがリアルであり、創作伝説としては、なかなか出来が良い。

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