明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



鏑木清方の画を見ると、残された本人の写真より、よっぽど本人らしいところがさすがである。よっぽど本人らしい、ということはどういうことかというと、実際の写真とは違うということである。清方の生前には、こんな写真があったが、現在は不明である、ということはありえず、私が目にしているのと同じ写真を参考にしているはずである。私も常日頃、人体模型を制作しているわけでなし、本当のことはどうでもよい、といってはいるものの、どこまで“創作”するかは、センスの領域であろう。清方の肖像画は、ぱっと見には、目も違うし、鼻筋も唇も創作しているように見えるが、事実と違えているところにこそ、創作の秘密があるだろう。私が存命中の人物を作らないのは、本人がいるなら、本人で充分と思うからだが、とはいっても、過去の人であるほど創作の余地があり、写真が一枚しか残っていなかったりすれば、やりたい放題ではある。 私は作った御本人に会うことはかなわずとも、本人にウケることを前提としているので、生前、頭髪が薄いことを気にしていたと訊けば、時に頭髪を捏造するほどだが、清方は同時代の人物を描く場合、どう創作しているかに興味がわいている。

01/07~06/10の雑記
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