明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



82年の初個展以来続けていた、ジャズ、ブルースをテーマとした人形制作から、作家シリーズに転向しての初個展が97年、浅草の蔵を改造したギャラリーでの『夜の夢こそまこと展』であった。丁度サントリー・ホワイト、TVCMの人形アニメの原型を担当した時であり、ついでに宣伝されたおかげで人が入った。ナレーション担当の現、林家正蔵さんからは巨大な花が届いていた。テレビの取材は『トゥナイト2』に、もうひとつが関西TVの『痛快!エブリデイ』。そのときレポーターで来てくれたのが雀々さんである。お客がいる中で簡単なリハーサル。作品を前に、牛乳瓶の底眼鏡に、絣の着物に袴の書生姿の雀々さんの質問に答えるものであった。江戸川乱歩が気球にぶら下がる『帝都上空』の前で「この方はどなたですか?」東京では放映されないということで、もう少しで「コロムビア・トップです」とボケるところであった。外でイメージカットを撮ったり、あげくは我が家へも。雀々さんは、撮影していないところでもシロウトの私を気遣ってくれ、あまりに感じの良い人なので驚いたものである。 今日の独演会は初の書き下ろし『必死のパッチ』(幻冬舎)の出版記念である。『東の旅』のあと対談 雀々×見城徹×井上公造。帯にある、麒麟の田村裕が“はっきり言ってホームレスの方が楽でした”という壮絶な境遇を井上公造が聞いて見城徹に紹介したそうで、初版3万部である。柳の下にどじょうは2匹はいる、と笑わせながらの対談であった。トリに初めて覚えた噺『狸さい』も大爆笑のうちに終る。
ロビーでお客と握手していたので「10年前に(正確には11年前)痛快!エブリディで・・・」といったとたん「ああ!覚えてますよ!」にビックリ。なんて人なのであろう。「あの、あれ、誰だったか」といいながらの手の形は、乱歩の気球を表してるとみて「江戸川乱歩ですか?」「そう乱歩!」実に嬉しい。アダージョの志ん生の号を差し上げる。 帰宅後さっそく『必死のパッチ』を読み、滂沱の鼻水。こんな人が人を笑わそうというのだから、たまったものではない。


01/07~06/10の雑記
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