明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



小津安二郎の誕生日であり命日。 小津安二郎像は来年2月ごろ、江東区古石場文化センターで展示の予定である。小津を1点だけということもあり、いつもより少々大きめに制作することにした。ざっと作った頭部を久しぶりにK本にもって行き常連に披露する。近所に架かる、小津の一族が作った小型の鉄橋『小津橋』の話になる。このあたりは泉鏡花の『葛飾砂子』の舞台であり、川に囲まれ橋は多い。現在はリベット打ちの鉄橋で、名称が違っていたりするが、作中近所の橋が出てくる。江戸時代はK本は波打ち際であり、近くには、これも作中に出てくる『波除碑』なるものがある。寛政三年の高波で多数の死者が出て、死骸が流れ着いたあたりに碑を建てたらしい。碑は戦災その他で原型を止めていないが、ここから先は永久にに住んではならない、というようなことが書いてあったようである。現在は住んではならないどころか埋め立てられ、家だらけで海岸線は遥か向うである。『葛飾砂子』に出てくるように、鏡花も船に乗ってK本の沖合いを洲崎遊郭に向かったに違いない。それを映画化した谷崎にしても同様であろう。
小津は少年期に深川から三重県に移り住んだが(後年深川に戻る)松坂市には『小津安二郎青春館』というものがあり、小津の脚本を音読する会など催しているらしい。“小津さんの名作を見て脚本も読むと、きれいな日本語が身について、家族や友人との会話がなめらかになってきます。”だそうである。きれいな日本語には違いないが、あくまで標準語と違う東京弁であるから、三重県民があんなもの身につけてもしょうがないだろう。だいいち小津作品の家族は、なめらかに話しているとはいい難い。

01/07~06/10の雑記
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