明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

一日  


アダージョのライター藤野さんが、門前仲町近辺を取材するというので、古石場文化センターへお連れし、その後、私の愛用自転車の1台、ワンタッチピクニカで近辺を探索してもらうことにする。 センターに戻り小津の『風の中の牝鶏』(1948)を観る。田中絹代が旦那の出征中に、子供の治療費のために売春をし、数日後に帰ってきた佐野周二が、頭では理解するが苦しむという話しである。開演時間に少々遅れ、着いたときには、田中絹代はすでに身を売った後であった。佐野が築地あたりの売春宿を訪ね、出会った売春婦と隅田川岸に腰掛けるシーンでは、昨日ピクニカで通ったばかりの勝鬨橋が映る。私は開閉していたのを覚えているが、現在開閉可能にするには10億はかかるという。古い映画を観る楽しみの一つは、かつての景色を観られることであるが、川本三郎さんは、東京でも、昭和30年代までは、戦前の風景が撮影できたといっているが、東京オリンピック以前の景色を覚えている人間には、戦前の映画だろうと馴染み深く感じることができる。逆に現在の東京の風景に関しては、私は何がどうなろうと知ったことではなく、佐野にもっとまともな職業に着けといわれ、いまさらもう無理よ、という売春婦なみの諦めようである。上映後、出てきた老人の中には、小津とおなじ白いピケ帽かぶっている人がいた。全国小津ネットワーク会議で副会長だったかをやっておられた方を紹介いただく。ポケットから取り出した小津の頭をご披露したのは、いうまでもない。 取材を終えた藤野さんをK本、K越屋にお連れし痛飲す。常に磁石を携行し、出口でいつも入ったときと逆を行こうとする藤野さんは、方向音痴について、私と互角ではないかと疑う初めての人物である。一回角をまがるだけで駅にというところまで見送る。

01/07~06/10の雑記
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