明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



小津作品には子供を扱った『生まれてはみたけれど』(1932)という無声映画の傑作があるが、これも他愛のない子供を描いたカラー作品『お早よう』(1959)を観る。何度か観ているが、今回は小津を作っているという事情もあり、以前とは違ったところが気になる。空が青すぎるのを嫌い、コダックではなくアグファのフィルムを使い、おかげで青空が煙ったような色をしているが、この作品も色使いが美しく、デジタルリマスター修復のおかげもあり、その点も楽しい。舞台は5軒並んだ四角いマッチ箱のような建売住宅であるが、外観はもとより障子や窓、チェックの柄のカーテンや着物が多用され、小津作品の中でも、飛び切り縦横の線に溢れ、それは異様なほどである。しかし、自身の美学にのっとっていれば、不自然であろうとお構いなし、というところが、私があらためて小津を見直している点でもある。 小津の画調が変っているのは10代の頃でも一目瞭然ではあるが、そもそもストーリーが娘の縁談や老人の孤独など、子供にはどうでも良いことばかりであり、そのテンポに耐えることはできなかった。しかし、ストーリーがいかに斬新、過激であろうと、その鮮度は短く、“ニュー”と称されたとたん、腐敗は始まるものである。その点小津は、あれ以上古びようのない普遍的なストーリーを選び、そのおかげで磨きこまれ、個性的に演出された画面が、時間を経てますます輝きを帯びているように感ずるのである。 
殿山泰司の、鉛筆、ゴム紐の押し売りが可笑しいが、昭和30年代、コントで押し売りといえば、あのスタイルであった。劇中の子供を見ていて、我が家にセールスマンが来ると、ウチにはすでにあるので間にあってます、という母の背後からきまって「それウチにないよ」と本当のことをいって、日ごろのウップンを晴らしていたのを想い出した。

01/07~06/10の雑記
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