明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



3、4年に一度くらいの割合で、作品制作上の目が、突然1ランク上がったような状態になることがある。それは前触れもなく不意にくるのだが、過去の作品が、急にみすぼらしく見えるのである。こんなものを当時は良いと思っていたのかとガッカリするのだが、ということは、逆にいえば、どこが駄目だかハッキリ見えるということである。先日、以前作ったディアギレフを見て、呆れかえって首を外した。実在した人物は、多くは平面のモノクロ写真の陰影で、立体を感じて作るわけだが、資料としていた写真まで違って見える。手を入れてみたら、たった数時間で見違えるできになった。なにしろ、何をすべきかハッキリ解るのだから面白い。そこで以前イメージした、ソファーに身をしずめ、美しいバレエダンサーを、ドンヨリとした眼で眺めているディアギレフを作ることにした。ダンサーは男であることはいうまでもないが、伝え聞く、ヘアートニックをプンプンさせた雰囲気を出してみたい。
想えばこんなことをずっとくり返してきたわけだが、見違えるでき、などといって、いつまでもつのだろうか。私の場合、作りたての自惚れている間に発表しないと、何もできずに終りかねない。家に遊びに来た友人だけに「どうだい、この新作。面白ェだろ?」なんていって暮らしていけたら、どんなにいいかと夢想したのは20代の頃である。ついでに押入れを開けると、4斗樽が鎮座していて、栓をひねるといつでも酒が出てくれば、さらによかったはずである。

01/07~06/10の雑記
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