明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



昨日は昼間から飲み始め、例年通りTVで格闘技戦を観て、YouTubeでスーザン・テデスキーを観ていた。オールマンブラザースのブッチ・トラックスの甥っ子がデレク・トラックスで、デュアン・オールマンはだしのスライドギターに感心しているうち、その姉さん女房、スーザン・テデスキーに横恋慕してしまったのが、昨年の暮れである。こんな歌を歌う姉さん女房が家にいるというのは、どんな気分なのであろうか。デレクのギターはチビの頃から凄いから仕方がない。男は技術である。
2時間ほど寝て目が覚める。演芸、映画、原節子ファンのブルースベーシスト谷口さんからメールが着ていた。正月は小津にちなんだ場所を自転車で探索しようと思っていたので、ヒマだったら御一緒にサイクリングでも、と誘っていたのである。 昼過ぎに、自転車2台連ねて木場を出発。混み合う富岡八幡、深川不動の永代通りをさけ、清澄通りから相生橋を過ぎ、勝鬨橋を渡り、築地市場へ。さすがに閑散としているが、波除稲荷神社には人が並び、場外では、チェーン店の寿司屋だけが、数店開けていた。そこから築地本願寺へ。子供の頃、ここの石段で遊んだという母に先日、本願寺が何度も映る小津の『長屋紳士録』(1947)を観せた。今は無き築地川で釣りをする子供たち。遊びというより食糧確保という感じである。周辺に何もなく、焼け野原だと思ったら、ここらには爆弾は一つしか落ちてないし、焼けてもいないと母はいう。つまり、今見ると、焼け野原のようにみえるが、もともとなかったわけである。次に聖路加病院。ここも小津映画ではおなじみである。聖路加病院のおかげで、このあたりは爆撃されずにすんだ。米軍は事前に爆撃しない旨ビラを撒いたそうである。 夕方冷え込んできたので木場に戻り、開いていた居酒屋で、趣味で十年以上手打ち蕎麦を学んでいる谷さんの話を聞きながら暖まった。喉が少々痛い。昨年末に、新橋演舞場で市川海老蔵に睨まれたので、1年は風邪をひかないはずなのだが。効力あるのは、口上の時の睨み、または親父の團十郎でないと効かないのであろうか。

01/07~06/10
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