明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



フランス人の血が入っている、と里見がいっている15世市村羽左衛門は、どれだけスターだったかは知らないが、ブロマイドを見ると、顔が大きいほうが舞台映えすると聞く割に顔が小さく、そういえばフランスの血が混ざっているかな、というハンサムぶりで、手足も長い。古書店のブロマイドの山の中から、厚化粧で判別が難しい歌舞伎役者の中でも、簡単に見つかる。 池波正太郎が小僧時代、三越で買い物をしている羽左衛門を見かけ、熱烈なファンだったので、手帳にサインを頼んだら、色紙にサインを書いてさしあげるからあさって来られる?天下の名優は、二日後時間通り表れ、色紙と共に歌舞伎座の入場券を二枚手渡し、「じゃ、さようなら。これからも、ごひいきに」といって立ち去ったという。池波は、その一言は、有形無形に現在の私の生きざまをささえていてくれるといっても過言ではない。といっている。あまりにもカッコのいい、羽左衛門のエピソードは、こう書いていても泣きそうになるくらいで、おかげで酒を飲んでいる時など、友人に話したいのに、危なっかしくて話せたことがない。  母の実家は、聖路加病院の近く、佃の渡しの船着場のごく近くであったが、角の叔父の家をはさんで隣が銭湯であった。某有名役者の奥さんが良く来ていたというのだが、それはお妾さんのほうだろう、いや違う、ということになり、パソコンをはさんでひとしきり話した。 改修工事が迫っている歌舞伎座の前は、携帯で写真を撮る観光客が殺到している。築地で外国人観光客のマナーが問題になっているが、ここでも、晴海通りの中央分離帯から撮影していたりするから呆れる。ついでに轢かれちめぇ。 そういえば子供の頃、歌舞伎座の前を裸足で走ったことがある。何か母に怒られることをしでかしたのであろう。こんな時、靴が脱げようと逃げたほうが良く、いや靴が脱げたのが、かえって好都合で、人通りの手前、母は何も怒ってはいない、という顔をするに決まっていた。長嶋はフルスイングの空振りをしたあと、ヘルメットが落ちるように、大き目のヘルメットをかぶっていた、と聞いたことがあるが、ああいう場合の私も、わざと靴を脱いだのではないか、と疑っている。もちろん目立って、怒られにくくするためである。 

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