明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

  


私がどうしようかと、例えば雑記で悩んだ場合、そうしてしまう可能性が大きい。 ネットで模造刀を注文してしまった。アダージョ次号は侍だが、制作の参考にするため、場合によっては合成しても良いだろう。良いと思えばどんな手でも使う私である。先日書いたように、円月殺法、諸羽流正眼崩し、などと1人でやっている姿を想像して躊躇していたのだが、昭和30年代前半に生まれた身としては、無理もないことである。子供達の間では、覆面やマントに拳銃のヒーローが全盛であったが、同時に、後に大川橋蔵でなく山城新吾だったと知ってガッカリした白馬童子など、時代劇ヒーローも存在していた。私が始めてファンになった女性アイドルは本間千代子だが、それもアニメ『少年忍者風のフジ丸』のコーナーで、戸隠流忍者、初見良昭の聞き手をしていた「忍術千一夜」が大きいだろう。私はこんな時のために1人暮らしをしているわけではないが、刀が届いたら、ひとしきり振り回すことになってもそれは仕方がないことである。 しかし還暦あたりの人たちになると、チャンバラに関しての思い入れのレベルが違う。某コクトー財団日本側代表のFさんからは、子供の頃観た新国劇は国定忠治の話を散々聞かされてるし、嵐寛寿郎の迫真の殺陣の話など、その話は何度も聴いてます、とはとてもいえない盛り上がり方である。 「昨日の次郎長観た?俺もうちょっとで石松助けにいくとこだったよ」。というタクシー“夜勤明け”Tさんなど、それはもう大変である。『週間 江戸』が書店にならぶ日は、酔っ払っていても書店の開くのを待って切り上げる。  刀が届いた後の私の行動について一切書くつもりはないが、一応幼馴染だけには到着を知らせるつもりでいる。全員独り者であることはいうまでもない。

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