明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



浄瑠璃:竹本駒之助(人間国宝)三味線:鶴澤寛也 対談:三浦しをん×矢内賢二 矢内賢二は『明治キワモノ歌舞伎 空飛ぶ五代目菊五郎』でサントリー学芸賞。最近読んだばかりである。九代目團十郎を作り、返す刀で五代目菊五郎まで作りたくなった。私には毒な本であった。 義太夫は、ただ聴いていても私にはストーリーさえ判らない。配られた台本を見ながら聴いていたが、だからといって判るものでもなく、せっかくのライブなので、音楽として聴く。竹本駒之助の声量が豊かで高音の響きが美しく、かなりの快感である。寛也さんのおかげで、義太夫三味線の響きが大分耳に馴染んできたのが判った。三味線が途中二本になり盛り上がる。 寛也さんを“黙っていれば日本人形”と評したのは三浦しをんらしいが、(※ではないらしい)実は話し声がまた素敵で、録音したいくらいなのだが、その場合フリートークでなく、朗読内容を指定したい、といったら怒られた。最近注目度も高まり、ますますご活躍のことであろう。 会場でバレエ評論の鈴木晶さんにお会いする。海外から帰国されたばかりで、これからロシアバレエについて書かれるのが楽しみである。ニジンスキーの権威に、アダージョ團十郎号を差上げる。 エッセイストの坂崎重盛さん、蕃茄さんと、ポカポカ陽気の中。早い時間ですが軽く飲りましょうと歩く。坂崎さんは締め切りが迫っているらしく、ごく軽く、といっていたはずであったが・・・。 四谷から電車で銀座に出て、坂崎さんに連れられ、新橋まではしご。2軒目の銀座のバーで、「この店で、一番安いウイスキーにレモンを絞ってソーダを」。これは、そこらに転がってる人がいっても格好が付かない。トリスが出て一同笑顔。二杯目「氷は換えずにそのままで」。氷に、一杯目のウイスキーが着いてる気がするからだそうで『ウウム。なるほど』。一杯の酒を楽しみ尽くそう、という坂崎さんに脱帽。そう思うと私など日頃、アルコールをただ腹に放りこんでいるだけである。その後、私も蕃茄さんも終始笑顔のまま、坂崎さんの後を付いていく。新橋のバーに、寛也さんから連絡があったのは、私が生まれて初めてシェリー酒を飲んでいる時であった。残念ながら約束があり私は失礼した。 飲み方はともかく、飲みすぎて様々なことに皺寄せがくるのは、坂崎さんも私と変らないようだ、と思いながら電車に乗った。

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幕末生まれの歌舞伎役者、“劇聖”といわれた九代目 市川團十郎が以前から気になっていた。顔がやたらと長く、痩せて小柄。無表情で力が抜けているように見え、“荒事”の成田屋のイメージは、残された肖像写真からは伝わりにくい。それでいて、ひとたび形を決めたならば、その磐石の構えは、比類がないように見える。 独特のたたずまいは、天才バレエダンサー、ニジンスキーの肖像写真を始めて見た時と共通の何物か、を私に感じさせた。当時の目撃談によると、小柄な身体が、まるで舞台からはみ出すような大きさに見えたという。それはニジンスキーがジャンプをすると、空中で止まって見えた、というエピソードを思い出させる。超絶的な芸の持ち主は、物理学を越えた世界を観客に見せるものらしい。  歌舞伎座の改修工事が始まれば、アダージョで歌舞伎役者を扱う機会はないだろう。世の中が丁度インフルエンザ騒動の頃、睨まれたら一年間風邪をひかないと江戸時代からいわれた、成田屋は市川團十郎を提案したのであった。 始めに考えたのは成田屋十八番の中から『暫』の扮装の九代目が、歌舞伎座の屋根の上から、大太刀を振り回し、東京をニラミ倒して、インフルエンザはもとより、不景気や陰惨な事件、その他あらゆる悪をなぎ倒そうか、という場面であった。しかし、初代 團十郎が編み出したという隈取は、何処の誰だか判らなくなりそうだし、私には、あのような顔には見えないが、浅草公園には、九代目の『暫』の銅像がすでにある。それならば、と文明開化期の團十郎というイメージで、浮世絵師、豊原國周が描いたような、黒紋付に山高帽の九代目を考えた。これは伝統ある歌舞伎の約束事に触れないで済む、という、制作上の利点もあった。  見得の時に、目を寄せるのは歌舞伎の特徴ある表現の一つだが、相当数残された写真を見ても、九代目が“睨”んでいる写真は一枚も無い。人づてに当代の團十郎丈の「当時は写真を撮るのに時間がかかったため、にらみをしている写真がないのだろう、にらみの目は少しの間しかしていられないもの」というご意見を伺った。そして最終的には、坪内逍遥の九代目の目は実際は写真とは全く違う、という“挑発”に乗る形で、表情を作ってしまった。私は、常に本人に見せて、ウケるつもりで制作しているが、前述の絵師、豊原國周が、目を強調した絵を描いて九代目の逆鱗に触れ、出入り禁止になったエピソードを知っており、長時間かけて完成させた表情を、締め切りが迫る中、決心して変えてしまった翌日、私のヒゲに白髪が2本現れていた。そしてこんな顔に変えると、『勧進帳』の弁慶、もしくは『助六』にするしかない。 九代目は晩年、化粧が ごく控えめだったことは、モノクロ写真から伺えるが、工夫したことといえば、白粉との比較で白目が黄色く見えるため、白目を初めから黄色く塗っておいたことだろうか。背景は歌舞伎座だが、今号配布後、数日で改修工事が始まることになる。

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