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明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



次は何故寒山拾得なのか?ふげん社での飯沢耕太郎さんとのトークショーでも、自分でも良くわからないと答えている。ところが私はすでに知っていた。それが判ったのは本日早朝である。ブログはその日のことはできるだけその日にアップしたいが、どうしても翌日の午前中に書くことがある。そこで何気なく“画題からシャッターチャンスまで、すべて自身の中に在ることを寒山拾得で証明してみたい。”とスラッと書いて、あれ? 私は常々、人間も草木と同じ自然物てあるから、様々なことがすべて備わっており、下手な頭を使わず、胸に手を当ててその声に耳を澄ませていればよく、見聞を拡げるため外の世界に旅に出る必要もない。私は、その声を一度たりとも聞き逃したことはない。そんなことを書くたび、出不精、怠け者の言い訳のようになってしまうのだが。友人との回覧文を書いていた時のペンネームは、武松亭礼二、つまり無精でレイジーであった。それはともかく。 何気なく寒山拾得たる理由をポロッと書いて、なんだ知ってるじゃないか?と。既存の実在した人や事を素材に表現するのはもう充分だろう。それが表層の、程度に難がある頭にいわせると作りたい作家がいなくなってきた。となるのかもしれない。 そういえば何度となく書いて来たが、幼い私は夢見ていた。どこかの王様に石の塔に幽閉され、算数や宿題なんてやらないで良いからここに一生おれ。そこには色鉛筆やクレヨン、画用紙が尽きることなく、図書室まである。ステイホームが苦にならないはずである。つまり私は生まれながらに秘密を知っていたことになりはしないか?単なる好きなコトしかしたくないただの怠け者と判別が付きにくいのが残念ではあるけれども。

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