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私の人間の好みは一言でいって過剰な人間である。それは様々な意味であり、通常サイズからはみ出した存在。やり過ぎ、大き過ぎ等々。今は東大関係者でも簡単には見られないという標本室に出かけたのは、巨人力士、出羽ヶ嶽 文治郎の骨格標本を観に行ったのであった。亡くなった後、奥さんがアワアワしているうちに東大に運ばれ解剖されたそうだが、なのにぞんざいに扱われ、いつか段ボールに入った馬の骨のような物が出てきた、と報道された。しかしそれは見られず、代わりに別の意味の巨人、杉山茂丸の骨格を観ることになった。 私が小学生になり図書室に入り浸り、伝記、人物伝の類を読み漁ったのも、そこらに転がっている普通サイズの大人達に早くもうんざりしていたからであった。おかげで未だに人間以上に興味深い物はない。子供の私が残念だったのは、偉人伝など、全て現場を目撃した人が書いていると思い込んでいたので、私がいくら桜の木を折ったところで見ていて書いてくれる人がいなけりゃしょうがない、とがっかりしていた。 それにすっかり騙されてしまったのは、人が誰もやれないことをするのが偉い人だ、というのは、少なくとも日本では違うだろう。せいぜい家元のように2、30人の上に君臨するくらいが程が良いようである。 という訳で、三島由紀夫である。これ以上過剰という言葉が似合う人物はいない。やり過ぎる人がいなくなったら世の中は全くつまらない。サイズ的には三島は小さかったけれども。明日いよいよ最終日です。
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