明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



なんだか記憶が薄れて行くように、日々三島の面影が薄くなっている。次の私に会いに行くには、こうでなければならず、そのためには、コロナ騒動の真っ只中ではあったが、決行は必要であった。10月にニューヨークで出版される『男の死』も、椿説男の死を先に発表出来たことにより客観的に思えるようになった。 事件直後に発表されず、五十年後のという三島の無念を想うのは相変わらずではある。生前も積極的に嘲笑をあえて受けるようなことをして来たが、ここへ来て再び世界的作家のコスプレ写真は様々な憶測を生み、笑う人も多いであろう。私が想像するに、おそらくそこには文学的死は描かれてはいないであろう。死の前年に演出した椿説弓張月のような悲劇の英雄や、市ヶ谷の三島のような、また三島作品のドラマチックさは、おそらくそこにはなく、むしろ市井の魚屋やヤクザ、兵隊の死に様が並んでいるのであろう。だからこそ、あの劇的な死の直後に出ることの効果を三島は狙っていたのだろう。 話は違うが、異性愛者の私は対象が自分と違うからこそ良い訳だが、三島は私が彼になりたい、彼でありたい、と対象に近ずこうとする。ある時から、ヘアスタイルも、それこそ魚屋、寿司職人、のようにし、中身は叶わずとも、外面的に近付こうとする。ある初期のプロレスラーと、昭和の歌謡界の大作曲が出来ていたという話を聞いたことがある。耳を疑ったが事実らしい。接点も確かにある。実は私は、幼い頃、二人は似てるな、と思っていたのである。ウエーブがかった髪、ブロータイプの眼鏡にチョビ髭。自己愛と何か関係関係があるのか、私の伺い知れぬ世界である。 個展を済ませ、気分もようやく落ちつき、という話をするはずが、良くあることだが、風に流され、着地点がずれた。

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