明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

病気  


ようやくこれから展覧を、といっている方々を尻目に、サッパリしている私である。次は寒山拾得を、とは、なんとなく思っていたが寒山拾得詩集を引っ越し先に持って来なかったくらいであった。やはり大きかったのは、葛飾北斎、松尾芭蕉を石塚式ピクトリアリズム化したことと、さらに三島を椿説弓張月の歌舞伎絵調の中に描くことができたので、ハッキリ口にできた。そういえば、一々陰影を出ないように撮影し、というのが嫌で、飯沢耕太郎さんにネーミングをお願いして3年は経つ、仕方がないので石塚式ピクトリアリズムとした。 もし私に不安があるとしたら、寒山拾得より派手な月に虎図だ風神雷神図だ、いや、いっそのこと、とエスカレートしていってしまう可能性が大いにあることである。その場合は、熱帯魚や糠床同様、当ブログでは、しだいに寒山拾得に言及しなくなり、なかったことにして澄ました顔をして終わる、なんて可能性がなくはない。すでにご近所のトラ猫を猛虎化に成功し、後は龍か、と。 厄介なのは、夜中に猫を虎にしていて“今、地球上で、こんなバカなことをやっているのは私だけだろう”と考えた時、脳内から快感物質が溢れ出てきて酩酊状態になる、という病を持っており、さらに問題なのがその場合、良い悪いについては一切頓着しない、ということである。 椿説男の死は、三島にウケることしか考えなかった、といって来たが、これがまさにこの病が私にいわせていたことである。どう考えてもそんな動機で制作した物を人様にお見せして良いわけがない。ところが、そうして制作した個展が、もっとも結果が良かったのだから、やはり一つくらい病を持つべきだろう。病気は一つじゃないだろ、という向きもあろうが、それはすべて、その病が引き起こす合併症という奴である。

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