明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



コロナ騒動の中、2度も3度も足を運んで頂いた方もいて、更に見たこともない未発表写真など見せていただく機会などもあった。個展という形で公開するつもりでいながら、実は観ていただく方のことなど眼中になく、50年前に亡くなった人物にウケたい、という妄想の元制作を続けるという。私にしても少々特殊な個展となった。制作中は私と三島の二人の世界と言って良かったが、篠山紀信氏撮影の薔薇十字社版男の死が撮影から50年を経てニューヨークで出版されるより4ヶ月早く珍説、異説版男の死を発表することができたのは、明らかにそんな私に対する三島からの褒美であることは100%間違いない。私には判る。それはひとえに集客を望めない状況で、延期でなく決行を選択していただいたふげん社のおかげといってよく、それは社長が、少女時代に三島についてびっしりと書いた大学ノートが、遠因となっている気がする。 ここ数年来試みて来た私の大リーグボール3号こと石塚式ピクトリアリズムも、今回で手法的には完成の域に達したといっていいだろう。といっても陰影を出さずに撮影し、切り抜いて貼るだけだが。これでなんの躊躇もなく、頭の中のイメージを取り出せることを私は知ってしまった。 不思議な連鎖は、私にはお馴染ではあったが、今回は格別であった。篠山版男の死出版の影に怯えて急いだ2011年の男の死展。それも出版の可能性がないと知らされ没後50年も気付かず開いた会期中に篠山版の11月出版を知る。次の個展は寒山拾得、といったら、ふげん社は、拾得は実は普賢菩薩である、という普賢から来ている、という。これでは、他の画廊でやったらバチが当たる、という所でニ年後の個展が決まった。これはひょっとして、と数えてみたらきりがいいにも程がある私の個展デビュー40周年である。ここまでくると、はるか上空の客観的な存在を信じそうになるが、決してそうではなく、画題からシャッターチャンスまで、すべて自身の中に在ることを寒山拾得で証明してみたい。 いつだったか、この個展が終わるまでは、クリニックをサボらず交通事故に気をつけよう、と書いたが、とりあえず今後二年間、サボらず気を付けたい。

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