明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 




何する気も起きずダラダラしてしまったが、とにかくいくらでも寝られる。本日田村写真に出来上がったプリントをようやく引き取りに行く。 今回椿説弓張月でやり過ぎたことにより、寒山拾得も可能だ、と思えた。勿論私を過剰にさせたのは、過剰の人三島由紀夫である。モチーフとしたのは劇中に聖セバスチヤンの殉教図を見出したからだが、それは三島好みの残虐な死の場面ではあるが、それよりも死の前年に悲劇の英雄鎮西八郎為朝に自らを見立てていたのだろう。演出しながら自分の最終場面の演出も同時に考えていたのではないか。 よく言われる当日三島と同じ釜の飯を食った説得すべき前線部隊は、富士の演習に出払っており、後方部隊しかおらず、調査ミスのようにいわれるが果たしてそうだろうか。三島が”招待客“を間違えるとは思えないのである。悲劇の演出に野次は必要だし、何より恐れたのは三島の説得に立ち上がる隊員があわられる事であろう。エンディングが台無しである。どうもまだ三島のこととなるとつい。それはともかく。 私のモットーの一つ“及ばざるくらいなら、過ぎたる方がマシ”であるが、常にこの過ぎたる部分に、次の可能性を見出してきた。自分でいうのも何だが、エスプリのようなものがそこに含まれる。そう考えると寒山拾得は、それを制作すること自体が、とくにその手段が写真であることを考えると、すでにやり過ぎなモチーフといえよう。そういう意味からも、ただ制作することが大事であろう。

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