明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

奇縁  


三島ともなると数々の偶然を招く。没後何周年の度に篠山版男の死出版の影に怯え、2011年にギャラリーオキユルスにて三島へのオマージュ展男の死を開催したものの全てを出し切れず。そして今回の個展である。実は数年前、篠山版は、三島の奥さんとの約束で出ることはない、と確かな情報を得ていた。それが今回の椿説男の死の会場で、ニューヨークで10月に出版されることを知るとは。もしふげん社が会期延長をしていたなら。私にすればコロナで人が来ないなどとは比べることの出来ない大打撃を被るところであった。 本日帰り際に、ふげん社社長の、少女時代の三島についてびっしりと書かれた大学ノートを拝見した。内容はというと、怖くて?読むことが出来なかったが、このノートがそもそもふげん社で私が椿説男の死を開催する遠因になっていたことは間違いない。そして4ヶ月とはいえ、篠山版男の死より先に発表出来たのは、三島本人にウケることだけを何年間も考えてきた私への、三島からの褒美だと解釈している。そしてこうしたことは連鎖するものであり、男の死をすでに卒業した私からすれば、寒山と拾得が実は普賢菩薩、文殊菩薩の化身であり、そこからふげん社が名付けられたという奇縁の方がすでに大きくなっている。 数々のヘマ失態を犯してきた私だが、はるか上空の棚から降って来るぼた餅を取り落としたことはただの一度もない。拾い損ねているようでは何も引き寄せることは出来ないのはいうまでもないだろう。


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