明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



昨日のブログで実は私が目指していたものを思わず吐露してしまった。良いか悪いかはまた別の問題ではあるが、どんな素晴らしい機材、技術をもってしても、私の頭の中のイメージを撮影出来るのは私しかいない。いつも言っているように、私の創作行為は、頭の中のイメージを可視化し、やっぱり在ったな、と確認することである。原点は幼い頃、頭に浮かんだイメージは何処へ行ってしまうのだろう、と悩んだことだからである。 だがしかし、ようやくイメージを取り出せるようになった、というだけの話である。私の創作だとしても、現実に存在した作家をモチーフにしていては限界があった。はたからは唐突に見えただろうが、寒山拾得展における大ジャンプは必要であった。谷崎潤一郎を間に挟んでからとも思えたが、一寸先には何があるか判らない。〝拾得が普賢菩薩の化身だというところからふげん社は名付けられた”私はこの偶然に即決、乗った。会場ではシャレコウベ掲げた2メートルの風狂僧一休禅師がお前は正しかった、と言っていた。

石塚HP



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ドラマでもタイムトラベル物で良くあるが、ちょっとしたことで行先が変わってしまう。私は最後は全ての作品から選抜した作品を、オイルプリント化して終えるものと思い込んでいた。そのために、90年代、突然横道にそれ、人形も作らず孤軍奮闘したのだ、と。あの頃の私は大正時代の作家を倒すつもりでいた。そうでもしないと、本業を放っておいてこんなことを、と罪悪感に耐えられなかった。当時の作家でも被写体を自ら作るなんていなかったし、さらにパソコンによる画像合成は連中には出来なかった。どんな手でも構わない、連中とは違う世界を、と考えていた。しかし改良を加えたものの、私が開発した手法ではない、という負い目が取れることはなかった。 12年にデボラ・クロチコさんに作品を見てもらい私と同じようなアプローチの人は?聞きたいのはそれだけだった。うーんと唸って。さらにその後、陰影を無くした手法に。今回もネットを通じてデボラさんにも見てもらった。地球上でただ一人。私が本当に目指していたのは実はこれだった。

石塚HP



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