明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

二日  


私のようなタイプの常で、興味があることとないことでは極端である。常に通信簿に書かれ続けていたし、母はその極端な所を、どこかなおかしいのではないか、と心配した。私からすれば、興味のないものに関心を向けたり学んだりすることは、まったく無駄な事だと生まれつき知っていたが。 直接言われた訳ではないけれど、母は、治らないなら、せめてそれを顔や態度に出すな、と私に伝えたと思う。 幼い頃、どこかの王様に石の塔に幽閉され、算数、宿題しなくて良いから、ここで一生好きなことをやっておれ、なんてことを夢見たものだが、コロナ禍に乗じ、まるで王様に幽閉されているかの調子で、むしろ罪悪感を感じることなく三島由紀夫へのオマージュ、寒山拾得展と続き40周年を迎えた。当ブログは、制作に関した事だけを書いているように見えて(るかどうか判らないが)出て来ないことは殆ど興味がないと言っても良い。 日本で独学者が好きなことを続けるのに、母の教えが必要だったのは不幸な事だと思うが、こうして正月早々、九代目團十郎で陰影深い仁木弾正を、なんて考えていられているのは何よりであろう。



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 たすきがけをして絵を描かく葛飾北斎。三島由紀夫展の前に、なんで作っていたのかが判らない。作ったのだからということか、枯れ木に花の賑わい?三島展に人形も展示した。なのに撮影をしていない。そのくらい急遽方向転換し、寒山拾得に取り掛かったということだろう。ラインから外れて打ち捨てられたような北斎を見て、相変わらず気が有るのと無いのでは扱いが違う私である。方向の大転換により作っておいて撮らず仕舞い。最終形を写真作品に定めてから、このままでは後悔することになるだろう。勢いのまま羅漢図に走ろうとしていた所を一旦思い止まった。そう考えたら、このまま陰影のない手法一筋で行って良いのか。今度は逆に、絵画、写真において、陰影を与えられず仕舞いのモチーフに、私なら陰影を与えられるのではないか? 夜観る夢はストーリーを生み出すのも自分なのだろうが、コントロールは出来ない。乱歩チルドレンたる私も、夜の夢こそまことなんて言ってるから、こんなことになる。



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