考えるな感じろばかりでなく、少しは考えるべきである。暮れから正月にかけ、独身のダラダラ飲酒生活で鍋ばかりだが、鍋で煮た具を小鍋に移してから味付けするべきだと、ようやく気付いた。そうすればおでんだシチューだカレーだ、と日によってアレンジ出来る、とカレー粉を投入して気付いた。制作においては頭は使わなければ使わないほど良い方向に向かうが、生活においては多少は使うべきであろう。 小ぶりなお銚子にお猪口でチビチビ、というのは風情もあり良いものだが、昔から疑問なのは、あんな小さな猪口では忙しくて話にならないだろう。と工芸学校の卒業制作が二升徳利だった私は思う。巨乳の女子が可愛い下着が無いのを嘆くようなものかもしれない。ところがそれに関しては、秘策を得ていた。飲み会の場で、誰だったかある関取が、お猪口でウォッカを飲んでいた、というのを以前ネットで知った。 今年は多少なりとも、重くてただ肩こりの原因にしかならない頭を使って行きたい。