明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



2011年の『三島由紀夫へのオマージュ 男の死』(ギャラリーオキュルス)は、おかしな連中に押し掛けられても、と二ヵ所のギャラリーに断られた末の開催であった。私は三島にウケることしか考えていなかったので、おかしな人間などまったく気にしていなかった。そんなある日昼食を済ませて画廊に戻ると、まさかの鈴木さんがお見えでびっくりした。楽しそうに観て頂いた。その後雑誌で対談させていただき、先日書いたばかりなので詳しくは書かないが、トークショーにも参加させていただいた。 鈴木さんについては各方面の方々が書かれるだろうから、質問を一つさせていただいた事を書きたい。   三島が丁度死の10年前に、同性愛誌に変名で、原稿を書き写させてまでして自身の作である事を隠した『愛の処刑』だが、正式に全集に入った。そこには青年(作中は少年)に看取られながら割腹したいという願望がすでに描かれている。青年に看取られながら、しかも介錯まで、とすると〝あの方法〟しかないとも思われ、そのために我々は、と思う会員もいるのではないか?その点を伺うと「楯の会の連中は本なんか読みませんから。」と笑っておられた。確かに文学青年を嫌い、森田必勝も愛読者ではなかった。 完結編たる『三島由紀夫へのオマージュ椿説男の死』(ふげん社)を観て頂けなかったのが残念でならない。安らかに。合掌。



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