明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



ふげん社での個展の際、私の到着前に画廊に着き、さっき入って来た人が開口一番「また変なことを」って言ってたぞ、と言った2人と飲む。入って来ると奥の2メートルの竹竿にガイコツ掲げた一休宗純のプリントが迎える趣向であった。飯沢耕太郎さんのその反応は〝感心されるくらいなら呆れられた方がマシ“という私からすると満足すべき反応といえただろう。 そういえば2人は、昨年の花見の後で拙著『貝の穴に河童の居る事』の中で河童と共演してくれた名うての〝注ぎ殺し“2人と合流し、1人は飲み過ぎて頭部から出血、救急車に乗って以来、断酒宣言をしていたはずだが、個展の時は、既に宣言は反故にされていたことになる。しかし本日も、もう一軒と言い出すのは判っていた。 彼は寒山拾得など、誰も知らないようなモチーフを何故やるのだ、とまだ言っている。誰でも知っていることに、やってみたいと思わせてくれることがないことと、森鴎外の『寒山拾得』を一読すれば判るが、放り出されるような結末に、歴史上の絵師達と同様ハマり、極端にいえば一生続けても良いようなモチーフなのだ、では納得が行かないらしい。



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