明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



日本初の禅寺は京都でなく、鎌倉の建長寺であることを知ったのは、数ヶ月前で、本場の禅を最初に日本にもたらせたのが開山となった蘭渓道隆であり、北条時宗に招かれた無学祖元だと知ったのは、ごく最近である。なのに気が付いたら作っていた。養老孟司いうところの〝人間は頭に浮かんだ物を作るように出来ている。ひとえにこの仕組みによる。 人物に対する興味は、小学校の図書室に始まり、造形的には、力道山から始まり、毎週、あらゆる人種の様々な体形の、制作には不必要なポーズまで頭に入った。そうこうして陶芸家になろうとして粘土に出会い、ブラックミュージックが好きでそんな人形を作った。さらにこの人物は私にはこう見える、と表現するために写真を始め、数十年経って陰影を排除した。そしてその挙げ句の突端である41年目に、蘭渓道隆が目の前にあり、無学祖元の袖から金色の龍が顔を出し、膝の上に青い鳩が乗っている。 ディアギレフはコクトーに「私を驚かせてみろ」といったが、私を驚かすのは、どういうことで驚くか知っている私しかいない。とりあえず、綿密な計算の上に作ったような顔をしていることにする。



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室内で腐敗を疑われている間に、2回蕎麦屋のカレーを食べた。食べ物というものは、必ずしも美味いから食べる訳ではなく、食べたいから食べるのである。その蕎麦屋のカレーは最近お目にかかれない、小麦粉とカレー粉をとにかく炒めまくった挙げ句の、という昭和30年代にはお馴染みであったカレーなのである。店主に、その間、多少、創意や工夫については頭をよぎらなかったのか聞いてみたいくらいである。あの炒めた小麦粉の味が記憶にない人間が食べるとどう感じるのかはわからないが。2回目にカツカレーにしてみたが、カツが冷たいままで、それはもういらないが、すでに3回目食べたくなっている。 初めての蕎麦屋で、何故、蕎麦でなくカレーを食べたのか。以前都内某所で、老夫婦がやっているいかにも味がある食堂の見た目に騙され、今までのワーストワンといえるカレーを食べたことがある。まるで噂話だけを頼りに作ったかのような不味さであった。これで商い続けて来られたと思うと、ずいぶんぬるい地域である。しかし食べ物は必ずしも美味いから食べる訳ではない。頭の隅に、あの記憶がちょっとよぎった気がする。

 

 

 

 


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15日、鎌倉まで行く用事があった。行きのタクシーのドライバーが若い娘で、本日は縁起が良い、と思ったら、車中にスマホを落としたらしい。最近WiFiが繋がらず、スマホは普通に使えたので、まぁいいか、と何でもやっていたので、ブログの更新も滞った。結果、私が一人室内で腐敗しているのではないか、と生存確認に来た知り合いもいた。携帯ショップの無愛想な娘から、腹の立つことばかりだが、無くしてパスワードを忘れた私が悪い。スマホは出て来ず。おかげでメールは使えない。使えたとしても12日後だという。ならばWi-Fiを復旧してパソコンでと思うが、同じ設定を使っていると不都合が起きるとかで、ネットには出来るだけ繋げないで欲しい、という。 ところで鎌倉への電車内、モニターの広告で横尾忠則さんの『寒山百特展』の宣伝を眺め、世の中何が起きたっておかしくないな、と奇妙な気分で眺めた。おかげで寒山拾得の認知度が盛大に上がった。少なくとも〝何で今時、寒山拾得?という輩は、拾得のホウキで一掃されたことだろう。 たまたまブログにはアクセスできたが、電話番号はわからないし、メールも不通だが、ショートメールは届きますので生存確認はそちらで。



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