明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



顔が面白い。それだけで宗派の開祖など作って良いのか。坐禅すら一度もせず。その通りだが、禅宗には不立文字(ふりゅうもんじ)という禅宗の教義を表す言葉がある。文字や言葉では伝わらない。ということだそうで、そのために絵画、彫刻などが発達し、師の克明な肖像が残されたのであろう。その想いは尋常ではない。そういった意味では何某かは私に伝わっていることにならないだろうか。何年か、ずっとそのことばかり考えている。 自分の都合の良いように解釈する、とは良くいわれることだが、おかげで我が家には臨済義玄、蘭渓道隆、無学祖元、一休宗純の各像が並んでいるという、あまり他所にはない状態である。2時半に日本橋のクリニックでCT検査。4体の像の作者には、ストレスが原因の問題だけはなさそうである。あったらヘン。 その後在庫切れだという粘土を求めて数店舗、疲れて帰宅。飲酒しながら愛用のグヤトーンをかき鳴らし〝見つめる前に飛べ‘’とジャックスの『堕天使ロック』を歌ってみた。



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