無学祖元は坐禅姿に喉元に剣、を向ける蒙古兵と並べるつもりだったが、写真作品だけにして、もっと重要なエピソードを仕上げることにした。袖から金色の龍、膝上に青鳩。無学祖元は、私が死んで、我が姿を刻むことあれば、袖に龍、膝上に鳩その因縁を伝えよ、と弟子に言い残したという。しかし円覚寺の重文の無学祖元座像は何故か椅子の背もたれに龍と鳩が刻まれているだけである。私はさらに白鹿を加えることにした。 午後久しぶりに電車に乗り『歴史画研究会』に出かけた。むしろ『小堀鞆音研究会』という趣きである。貴重な下絵が興味深い。修正する心の動きが、そのまま画面の動きのように見える。何故日本人は陰影を描かなかったのか?質問してみると、画家の方がおられて陰影や遠近法は説明だから、とのこと。だとすると、葛飾北斎のドラマのセリフで、西洋画を見だ北斎が「そのまんま描いていやがる。」をさらにいうと「見りゃ判ることをいちいち説明しゃがって、野暮な連中だ。」ということだろう。もっとも本人は、よせば良いのに野暮方向に首を突っ込み死んだけれど。