明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



いいたいことがある訳でなく、頭に浮かんだイメージを可視化して確認したい、それだけである。しかし、幼い頃から溺れ続けている快感物質に支配されていることは認めなくてはならない。 小学生の時、始業のチャイムが鳴っているのに図書室から出て来ず騒ぎになった時も、実はチャイムは聞こえていた。椅子に正座し、尻は上がって、これはまずいとハラハラしていながら、本から目が離せなかった。 母はいち早く危険を察し、学校に相談し、授業中妙な施設に連れて行かれ、教師も私の声が聞こえてないようだ、と耳鼻科受診をけほ勧める始末であった。母の心配は当然で〝ある種“の犯罪者にも同種の物質が作用しているとしたら、その不運に同情せずにはいられない。 あの快感物質をより得るには孤独が必要不可欠であるが、私と同じようなものだ、と思っていた友人等が社会人になり、止めるのも聞かず家庭を持ち。と不思議に思っていたが、肝心なことに気付いていなかった。彼らはあの物質に取り憑かれてはいないのである。なので私に対し、何でそんな状況なのに笑っていられる?何で寒山拾得なんだ?と不思議がるのは当然である。大谷翔平の存在は、あの物質抜きには説明が付かないように私には見える。



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特別に解像度の高い肖像を残しているのが臨済宗だが、最初からというわけではなく、宗祖臨済義玄は、中国の検索エンジンでも、決定的な肖像は得られなかった。私が作ったのは、中国のある僧が、拳を握って喝!と激しいの表情の肖像を注文で描かせ、それが日本に伝わり、大徳寺周辺で模写され流布した中の一休宗純の賛が書かれた作品を元にしのたが、後頭部から前頭部に向かって盛り上がり、創作された物であることは明らかである。決定的な資料でも入手した場合は、改めて作ってみたい。 頭の形といえば。次は日本に禅をもたらせた栄西を作るつもりでいたが、様々な事情で、新しい禅をそのまま伝えるのは難しい状況で、正確な形で伝えたのは、蘭渓道隆を待たなければならず、ゆえに初の禅寺は鎌倉の建長寺ということになったようである。 そんなことより、作る立場として問題は、栄西とされる像は、頭頂部が真っ平な、まるで型にはめたスイカか臼のようで、こんな人間が居る訳がないことであった。



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