一休宗純3体目、8割乾燥終わったところで『タウン誌深川』用の撮影。制作中ということで、写る部分だけ着彩.どうせなら普通は撮らない調子で撮る。それにしても、この不信心者が、毎日坊様ばかり作ることになるとは昨年の私は想像しなかったろう。長い目標を立てないからこそである。 子供留守番禁止条例案、ふざけた話である。寒山拾得を手掛けて以来、はっきり自覚したのが、その虐待とされる鍵っ子時代に私の創作者としての基本が作られたということである。頭に浮かんだイメージはどこへ消えて行ってしまうのだろう?その疑問がイメージを頭から取り出し、やっぱり在った、と確認することが、私の創作行為の原点となった。孤独こそが創作の源である。それをバックアップするのが、人間も草木同様自然物、あらかじめ肝心なものは備わっている。という思いで、結果、外側にレンズを向けず、眉間にあてる念写が理想ということに至っている。もっとも、妹は友達は家に呼べないし、寂しかったらしい。