明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

宗祖  


人は何のために経験し学ぶのか。おかげで失うことも多い。 目の前に臨済宗の開祖臨済義玄がある。拳を握り激しい喝!の表情が面白く、寒山拾得の臨済宗の開祖か、と作りたくなった。会場の隅にでも展示しておくか、と考えていたが、山深い仙人が住む風景の制作法をようやく思い付いたのが、個展一月前という有様で、仕上げ着彩も雑であった。それを今になって改めて修正している。 当時散々調べたが、決定的な肖像画は見つからず、立体は中国の変な像しか出てこない。中国のある僧が注文で描かせた絵が日本に伝わり流布したが、そのオリジナルも見つからない。こんな前頭部が盛り上がった頭があるわけない、と思いながら作った。あれから三年ほど大人になった今なら絶対に作らない。開祖の頭を撫で回す私であった。これを経験するには新しいことを、考えるな感じろで、後悔、反省は、後でする物だ、と作ってしまうことである。経験上衝動には理由があり、作って後悔したことは一度もない。

 

 



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