一休和尚に草鞋を履かせる。小四で知った一休の〝門松は〜目出度くもあり目出度くもなし”が思いの外、死生観に影響を受けていたことに最近気付いた。自分のやることが〝自分とは何か“ということに繋がるのは結構なことである。 ところで、先日の造影剤のCT検査の結果、来週、生まれて初めて入院することになった。私が二十代でもっとも熱中したジャズマンはチャーリー・パーカーである。今だにこの世の音ではない、と考えているが、当初、セッションに参加しても、ドラマーにシンバルを投げられたりしていたパーカーだが、レスター・ヤングのレコードを携え山にこもり、降りて来たら演奏が一変していたという。十字路で悪魔と契約したブルースマンの話を彷彿とさせる。私はというと、一休宗純『狂雲集』を携え入院しようと考えている。