明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



いずれ作ることになるであろう大燈国師は「衣類や食物のために修行するな、理屈ではない。ひたすらに打ち込め。伽藍や経本、熱心な読経や長時間の坐禅、質素な食事などに禅があるのではない。野外でたった一人、ボロ小屋で野菜の根を煮て一日を過ごしたとしても、自分とは何かを明らかにする者こそが私の弟子である。」そう思うと、需要などお構いなしに、ボロ小屋で野菜の根を煮るように、やっては来た。独学我流でやっているうちに、人間も草木同様自然物、肝心な物は備わっている。考えるな感じろで行くことに決めていた。禅の修行は外から教えてもだめで、その人の内側から目覚めてこなければ本当の力にはならないという。禅の修行も坐禅もする気はないけれど。 初めての入院を期に、ギアを一段上げることは決めていた。反省すべきことさえも禅の修行同様、外から教わるより己の内側からの声の方が効き目があることを知った。

 



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