毎年大晦日はやれることをやったか?と確認する日にしている。死の床であれを作るんだった、これも作るんだった、と後悔するのを恐れたからだが、その原因が小四で読んだ『一休禅師』の〝門松は〜“だと気付き、陰影が描かれなかった鎌倉、室町時代の人間には逆に陰影を与えるべきだ、と気付かされたのも一休であった。その大人向け『一休禅師』を読んだって判る訳ないといいながら買ってくれた母が数日前に亡くなった。 また坐骨神経痛で寝込んだり、7年ぶりに風邪をひき、来月には冠動脈の手術。いい加減にしろ、という警告だろう。しかし私は他の事をせず、一つのことに集中してようやくこの程度である。 途中挫折を避けるため先の予定は3体まで、という名案も、一休和尚のせいで台無しとなり、制作すべきものが頭の中で渋滞している。そして来年も“人間頭に浮かんだものを作るようにできている。“という某脳科学者のいう仕組みに翻弄されることになるだろう。法然上人の“法然頭“を作りながらの年越しである。ホームの母は、長居すると”もう良いから帰って作りなさい“といった。