明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



最初に写真を発表した際、人間の実写と間違われ翌年作家シリーズに転向した。わざわざ人形作って腐るほどあるジャズ写真を模倣した人間にされてしまったからである。もしジャズミュージシャンでなく、写真どころか陰翳も存在しない鎌倉、室町時代の人物だったらどうだったろう?こうだっただろう、というのが浮かばない。何かと間違う人がいたとして、一体何とどう間違えることになるのか。 一度だけ人間を撮ったように試してみたのが古今亭志ん生だったが、老人があんな大きな太鼓を担ぐわけがない、或いは志ん生があんなことするわけがない、という面白さだけである。それは”実写“に見えるからである。これを鎌倉、室町時代の人物でやったなら。それは一体何だ、ということになるのだろう?

 

 



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