写真撮影第一作は、最初に喝!を入れようと、臨済宗開祖臨済義玄を選ぶ。陰影のない石塚式ピクトリアリズム(日本画調絵画主義作品)は、下拵えが肝心である。ちゃんと済ませていればいるほど撮影後の手間はなくなる。特に臨済義玄は、曽我蛇足作品の立体化がテーマであるから構図も決まっている。三脚立てて撮影後、切り抜くので、後ろに余計な物が写り込もうと関係がない。この手法の第一作の三遊亭圓朝を撮影した時、リアルにしようと何重にも色を塗り重ねた肌が、見る分には良いものの、撮影したらただ汚れにしか見えず、三脚をそのままにして一色の単なるベタ塗りに塗り替えて再撮した。凝ったことが逆効果となった。こう書いていると、横着な人間が考えた手法は、どういう訳だか横着に好都合に出来ているのが不思議である。それに、何より手法が単純にして明解な分、被写体の出来が成否を決める。よって私の原点たる人形制作を再確認することになった。頭を使っていたらここには至っていなかったのは間違いがない。原画は墨絵だが、目を充血させ、原画にない血管を浮き立たせた。これは緊迫感を出すためにジャズブルースシリーズの頃からやっている。明日は返す刀で達磨大師辺りを撮影したい。