中国の顔輝、狩野山雪など、素朴な唐子調の寒山拾得から不気味な寒山拾得像が描かれるようになった経緯はどうだったのか。良く判らない。一年経っての私の印象はというと、聖と俗併せ持った人物が存在したとすると、それはおそらく尋常でない様子に違いないだろう。顔輝、山雪も生きた人間を見て来た挙句、そう考えたのではないか?拾得を手掛けるにあたり、生きた時代も違い、よって出会った事象も違う私が顔輝、山雪に準じたなら、今時、寒山拾得を創作する甲斐がない。それで難航し、その間足踏みしながら仙人など作ってしまった。 二人がボロを身に着け訳の判らないことを言っては笑っている。一人は寒巌に住まい、一人は寺の炊事係である。そして実は文殊と普賢の化身だと言う。鴎外などよりサン・テグジュペリの挿絵付きで読んで見たいような話である。