明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



フサ付き紐が届く。これを寒山拾得の腰紐に使う。一度古今亭志ん生の火炎太鼓のフサに使ったことがあるが、お茶で煮込んで古びさせたが、陰影のない手法だと、やり過ぎだけが目立つ。作る立場としては物足りないが、最初の三遊亭圓朝の撮影の時、リアルに着彩したつもりで、目視では実際そうだったのだが、撮ってみると顔がただの汚れに見え、驚いて三脚もそのままに、一色のベタ塗りに塗り直してことなきを得た。その場で確認できるデジカメでつくづく良かった。そう思うと陰影のない日本画でも汚し表現は一部を除きあまり記憶にない。以来、やり過ぎを戒めている。もしかしたら私の辞書に載っていなかった、引き算が覚えられるかもしれない。やはり自分で必要だと自覚するまでは、いくら人に言われようと変えられない。そう思うと師匠や先生がいたら小学生時代同様苦しんだろう。自覚さえすればいくらでも変われ、写真から陰影さえ消せる。



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