明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



朝、寝惚けながらTVをつけると、中国で肉まんに段ボールを雑ぜていたと報じていた。映像では、段ボールを苛性ソーダに浸して、きざんで脂と雑ぜていた。6:4で段ボールが多いというから、段ボールに具を混ぜたという方が正しいだろう。机と飛行機以外は何でも食うといわれる連中だが、飛行機はともかく、机は食えるだろう。簡単に死刑を執行する国だが、それも気になったりして。 最近某所のスーパーで買った惣菜を肴に飲んだ。一人宴もたけなわの頃、ふと表示を見ると、私がオイルプリントを制作する時に使用する防腐剤の文字。先日も古典技法を試みる友人に臭いですよと話したばかりである。以前は食品に添加していたが、発ガン物質で。と聞いていたのだが。 検索すると『人により皮膚アレルギー反応 飲み込めば、嘔吐、下痢、めまい、心臓機能低下、頭痛、耳鳴り、アルブミン尿、循環器障害』駄菓子屋のチクロで育ったクチだし、宴もたけなわだしで、食べてしまって忘れていたが、今日思い出した。

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パソコンを始めて7年くらいになる。その間本体は買い換えたが、モニターは初代のままであった。数年前から画面の上部が波を打つようになっていたが、私はその程度のことが、差しさわるような仕事などしていないのである。というわけで、放っておいたのだが、さらに大分前から色がおかしく、夕焼け空のような色になることがあった。しかしそれも、モニターから床置きの本体に繋がるケーブルを、左の膝でグイッとやると元に戻っていたのだが、いつの間にか、膝を使わない間は、夕焼け状態が続くようになってしまった。ミートホープの社長ではないが、もったいないも、いい加減にしないといけない。面倒なのでネットで購入。

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我々の世代には、バラエティー番組でジャズを歌ったり、『モスラ』の悪役などで、ヘンな外人の一人として馴染みのあるジェリー伊東が亡くなった。 ピクトリアリズムなど、大正、戦前の文献や写真集など探索していて見かけるのが、海外で活躍した舞踏家、ジェリー伊東の父親、伊藤道朗である。当時、ダンサーは重要な被写体の一つで、海外の作家も伊東を撮影していて、なかなか興味深い人物である。 以前某、バレエ団理事長に、ジャンプ自慢の伊東が、どれだけ高くジャンプできるか壁を蹴っていたら、翌日、さらに高いところに足跡があり、それがニジンスキーだったという話を聞いたことがある。バレエダンサーの草分けでもある薄井憲二先生にうかがうと、伊東道朗は、いささか“吹き癖”がある人物らしく、つまり眉唾な話なのであった。 ニジンスキーに勝ったとまで言わなかったところがリアルであり、創作伝説としては、なかなか出来が良い。

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一日  


三脚を担いで撮影に出かける。人形を持たない撮影なので、ゆったりとした気分である。前から目をつけていた撮影ポイントが、ちょうどサラリーマンがタバコ吸ったり、仕事サボったりするのに良い場所らしい。君たちちゃんと仕事しろよと、人形を持たないと、そんな気分で撮影できる私であった。 帰るとエレベーターで、階下の映画プロデューサーYさんとバッタリ。煮込みのK本帰りで、赤い顔で、長ネギがはみ出したスーパーの袋をぶら下げている。軽く飲りますかと、お互い荷物を置いた後、T屋へ。 K本には先週1回行ったきりであるが、昨日猫が一匹死んだそうである。拙著でも店内の猫を1カット使わせてもらったが、早い時間など、その辺を歩いていて、先週は私の目の前に尻を向けて寝ているので、シメサバの皿と酎ハイのコップは猫をよけて横に置いていた。猫も常連にたいしては図々しい。 何匹世話しているのか判らないが、去勢手術も大変だが、死ぬと、わざわざ坊さんを呼ぶというのだから恐れ入る、小平には猫と犬の墓があるんだとYさんに聞いた。

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もっとも、当時、窓から手をのばせばお隣に届いてしまうような、狭い東京の下町に暮らす高校生が、休みに銀座まで出てきて、『東京物語』を観て感激したとしたら、そいつは相当おかしな奴で、今頃、その代償を払っている頃であろう。 見直すべきこと、新たにやってみるべき事など、腐るほどあるわけだが、人の一生など短い。面白いと判っていても、手を出さず、見て見ぬフリが必要なくらいである。 しかし、退屈だと思っていたチャップリンが、これだけ面白いとうことは、実に困ったことになってくる。

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チャップリンの映画を観たのは、高校性の時、学校で映画館に観に行った記憶ぐらいしかない。今時チャップリンを観せるなんて、ダサイ高校だと思ったものである。チャップリンのギャグなど、ただ古いと思ったし、さらに笑いに泪がくっつくことが大嫌いときているから、なおさらである。 しかし、何作ものDVDを改めて観て、考えを新たにした。その運動神経に感服。バカバカしいギャグさえ面白い。『街の灯』の盲目の少女が、目を治してくれた恩人が、浮浪者のチャップリンだったと知るラストシーンも、すでに使い古されているイメージだと思いながらもウルッときた。これは単に、私もヤキがまわった、という話かもしれないが、良く作られた物はそういったものなのであろう。 小津安二郎の『東京物語』を映画館で観て、葛飾からわざわざ銀座くんだりまで来て、こんなもの見せやがって、と耐えられず、腹を立てながら途中で映画館を出たのも、あの高校生の頃であった。なんだかんだと、時間はかかるものである。

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チャップリンが、ニジンスキーを真似て踊っている場面があるという『サニーサイド』(1919)を観る。私には、とてもそうは見えなかった。 この3年前の1916年。チャップリンは、アメリカ公演中のニジンスキーに会う。二人はお互い認め合っていたというが、その公演中、カール・ストラスというドイツ系米人の写真家がニジンスキーを撮影している。(他の団員をカラー撮影しているが、残念なことに、ニジンスキーのカラーは残していない)ストラスは、後にパラマウントに入社、映画の撮影技師に転じ、『チャップリンの独裁者』(1940)『ライムライト』(1950)を撮ることになる。 そして近々日本に、ニジンスキー像を作り、それを、ストラスが制作したピクトリアルレンズで撮影しようという人物が現れる予定だから、長生きはするべきではないか?しかもそれは、人を呆れさせるのが目的だとか、違うとか。さらには、只今チャップリンを制作中というのだから愉快である。

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一日  


久間元防衛庁長官にしても、ミートホープ“創意工夫賞”社長にしても、ヘラへラ笑って躾がなっていない。とりあえず10年は一切笑うなと言いたい。 『続3丁目の夕日』の紹介番組をやっていた。上に高速がない日本橋が映る。前回の上野駅に続き、今回はこれが見せ場か。そして偶然、30分後に日本橋の橋の上で、某誌編集長と待ち合わせ、企画及びライターのFさんと合流。 Fさん、九州大学内の死体安置所でアルバイトの経験があるそうである。昔から死体洗いのバイト代は高い、という噂はあったが、ほとんど都市伝説化しており、経験者と会うのは始めてである。もっとも死体に触れる事はなく、煌々とした明かりの中で、一晩番をするというバイトだったらしい。匂いを通り越して味がしたそうで、経験した高額バイトのベストスリーに入るそうだが、他の2つは教えてもらえず。夢野久作、未発表作品の存在なども聞く。 F編集長、○○○○をやってみたいらしい。作れというなら、物凄く作りたいが、自主的には作らないだろう。発表のしようがない人物もいる。

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正式発表はまだのようだが、NHKで放映された『ホワッツ・テラヤマ』がテレビに評価を与える賞、「ギャラクシー賞月間賞(2007年5月)を受賞したそうである。私の寺山像が少々顔を出したが、あれは以前、『知るを楽しむ』で撮影された映像を流用したものである。女子高生が人形の頭をぺたぺたやるので驚いた人がいたが、撮影当日、私も立ち会っていたが、自販機でタバコを買っていて、ロケ隊とはぐれた間の撮影であった。タバコはホントに良くないのである。 『知るを楽しむ』夏目漱石 悩む力を観る。が、稀代の催眠術師、姜 尚中氏のベルベットタッチの術にはまり、大半を寝てしまう。

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世田谷文学館の『向田邦子展』の会場に、向田邦子が書いていた当時の、『銀座百点』が数冊展示してあった、風間完の表紙絵が素晴らしかったが、とくに、上半身裸の少女の表紙が印象に残った。焦点が定まっていないような眼差しで、両腕を左右に開きぎみなこともあり、ラリッているかのようである。というわけで入手。“銀座の草分けマダム”という座談会が面白い。林忠彦撮影の太宰治の写真で有名な『ルパン』は泉鏡花もひいきだったと知る。キセルを一服吸い、「カクテルくれ」氷が嫌いな鏡花に氷を使わないで作ったそうで、さすがの鏡花も、カクテルを熱燗でとは言わなかったようだ。水上瀧太郎がそれを聞いて、先生をビルディングにお連れしてと怒ったそうである。ビルディング嫌いな鏡花。食べ物の好き嫌いの多い男は、何かと面倒である。 谷崎潤一郎命名の『サンスーシー』は、杉山吉良撮影の内部のグラビア写真もある。私もここにはいずれと思っていたことがあったが、バブルで有頂天の、洟タレサラリーマンのせいで、すっかり冷めてしまった。 向田邦子は『お八つの交響楽』。こんな小冊子で読む向田邦子というのも、なかなかオツなものである。

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私の作品は、大体たいしたポーズもとらず、無表情である。それは撮影する場合の、応用範囲を広く持たせるためである。特定の表情を持たせず、ライティングによって、表情をあぶりだすわけである。場合によっては首を固定せず、多少の角度を変えることもあるが、おおくの場合、それで撮影に挑めば充分なのである。しかし今制作している人物は、どうもそうはいかないようである。 まず場所を決め、その場にあわせた表情、ポーズを考えねばならないという気がしている。ひとつにはその人物が、なぜそこに居るのかということに、違和感を感じるに違いないこと。(ただし、そこに来た事は記録に残る)棒立ちのポーズでその人物を現すには無理があるということ。さらに、ポーズを付けるからには、無表情では不自然である可能性があることである。よって、場所を事前に観て来ようと考えている。幸いサンダル履きで、散歩に丁度良い距離である。

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なかなか楽しい映画であり、間を置いて、もう1回観てみたい。 常磐ハワイアンセンターは創業が1965年だそうだが、3年後の68年の正月に、家族で泊りがけで出かけている。何故判るかというと、3日に、TBSで放映された、国際プロレスTVレギュラー放送第一戦の、ルー・テーズVSグレート草津戦。バックドロップで草津失神KO負けのを試合を、ここで観ているからである。草津をスターにしようと目論んだTBSの思惑を、“鉄人”テーズに見事に潰されたという試合である。TBS側のプロレスを舐めた態度と、調子に乗った草津がテーズの怒りに触れたためだといわれている。ハワイアンセンターは暖かく、常に硫黄くさかったのと、三沢あけみショーを観たのを覚えている。 常磐炭鉱といえば、陶芸家を目指していた頃、近くの茨城県は高萩に、一年間住んだことがある。イノシシが出るため廃村になってしまった所で、4キロ四方に人が住んでいなかった。

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