明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



今月配布9号のアダージョの色校チェック。次の10号の人物のイメージについて喫茶店にて編集長と話す。まだ特にイメージは浮かんでいない。 毎号“誰と何処を歩く”というテーマだが、単純に誰を、何処を背景に配して済むなら簡単な話である。依頼された時点では、本来そういうことだったはずで、引き受けた私もそう思い込んでいた。しかし、やってみると、過去の人物であること、都営地下鉄沿線に限られること等々の理由から、そのままでは、わざわざ人物像を制作するわりには面白味がない。今号の志ん生も、本所の開発が進んでいて、画になる店が無いので、画を優先して深川の“名店”を背景にしたわけである。しかし、街歩きマガジンとしての性格上、特集場所が背景になるにこしたことはない。 この人でこの場所では、私に面白い画は無理なので、ただ特集場所を背景に、ただ撮りゃいいや、と毎回土俵際で思っている私である。 今月配布の9号は、土俵際で、ほとんどスープレックスに近い、奇手といっていいような打っちゃりが出て、特集人物を特集場所に配することができた。強引な打っちゃりは危険が伴うが、決まれば効果的である。

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今日の段階で7人が亡くなったという。こういう人物は、自分で死ぬことができず、国に殺してもらおうと考えるのであろう。死刑制度が、練炭やトイレの洗剤代わりに利用されるというわけである。死刑制度があるかぎり、間違いなく、これからも起きることであろう。 音も光も無く、自殺が不可能な状態で死ぬまで。というのが適当である。

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KY  


アド街ック天国に、毎日のようにお世話になっているK本が映った。女将さんが、なかなか役者であった。以前TVに映ったとき、常連が鳩バスと呼ぶ観光客が増えたことから、常連用の席があることを説明する約束が、Vサインなどしていた客とともにカット。まあTVは、そんなものである。 本日も始めて来て、一人なれなれしく喋りまくっている客がいて、女将さんに大顰蹙。東京の下町が、誰でも受け入れると思ったら大間違いで、日本各所の村と、まったく一緒なのだが、そこが勘違いされている。 狭いゆえに、人と適切な距離感を持たないと生きていけない、下町に育ったにもかかわらず、その距離感を終生会得できなかった哀れな男がフーテンの寅である。当然定住はかなわず、生息場所を転々とすることでしのいだが、野生動物なら、生き残れないタイプであろう。寅が時折見せる、空気が理解できずに固まった表情こそ笑い所であったが、群れからはぐれて、ライオンに食われる鹿のような顔であった。

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図書館で借りてきた評伝を読みたいのだが、作らなければならないものがあると、読んでいられない。夕方まで人形を作り、近所のインド料理屋へ。タンドリチキンにビールを飲みながら読む。私は子供の頃から人物伝の類が大好きなので熱中する。帰りにK本に寄ると、しばらく顔を出さなかった同じマンションのYさんがいた。Yさんに手伝ってもらった、志ん生の背景にも使わせてもらったここK本が、アド街ック天国に出るのは明後日である。しばらく、常連席に置いてある、“常連専用”の表示が活躍することであろう。Yさんが次にT屋に行くというので、一度帰宅して、乾燥機に突っ込んだままの、ユダヤ系ドイツ人をひっくり返してからでかける。 Yさんにできたてのアダージョ次号用の作品を披露すると「あ、やっちゃったんだ」。どういう意味か私には解からない。先日の立てこもり犯が、K越屋の親父さんとソックリだとYさんもいっていた。 私がただの一回だけ、ツアーでNYに行ったとき、あまりにも狭い、中華街やイタリヤ人街から一歩も出ることなく死んでいく人がいると訊き、馬鹿じゃないのか、と思ったものだが、気がついたら私も似たようなことになっており、今日も家から2百メートル程度の範囲でトリプルヘッダー。

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一日  


アダージョ8月号の特集がようやく決まる。今回は私の企画が通ったのだが、提案はしたものの、その人物について詳しいわけではない。昼過ぎに、黒人とユダヤ人の間に生まれた娘を乾燥機に突っ込んで、いそいで深川図書館に走る。帰りに焼き鳥のK越屋に寄る。自分で頭を打ち抜いた、立てこもり犯のニュース映像を見ていたら、帽子を被って散歩しているK越屋の親父に似ていた。景気付けに芋焼酎。 アルコールというものは良いもので、生活に句読点の効果があり、リズムを生む。もっともマーチのリズムになることは皆無で、だいたいがニューオーリンズR&B調の、ゆったり、ぐずぐず調である。最近よく顔を出すT屋は、朝の6時には、仕事が終わったタクシードライバーが集い宴会状態。おかげで句読点が増え、まるで安藤鶴夫である。

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すでに頭部が完成していたピアノを弾く黒人女性を作る。旦那はユダヤ人で子供は3人いる。架空の人物だがらイメージで作ればよい。 私は写生やデッサンなど、とにかく対象を見て描いたり作ったりが嫌いで、人形も永らく架空の人物ばかり作っていた。それが今では資料を参考に、ほとんど実在の人物ばかりである。勝手に作れない代わりに、見る人の中にあらかじめ在るイメージを利用し、見てきたように作ってみたり、裏切ってみたり。これが面白い。 先日入稿したばかりのアダージョの表紙は後者であり、普通、この人物がテーマで、こうはしないだろう、というものになった。そして今号の古今亭志ん生のように、リアルだとか、ソックリだとか感心されるより、次号のように(おそらく)呆れられるくらいの作品のほうが、私としては作っていて面白い。 明日は黒人とユダヤ人の間に生まれた息子を作ろう。

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