明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



鴎外像、補強も終わり改めて見ると、バランスの悪さの原因が判った。画像としては修正したので判らないが、脚の短さか、と思ったらそうではなく、小さなワラジを乗せたような肩章と詰襟のせいであった。このいつもは無い、衣装の特殊部品を意識したせいでここにわずかな“屈託”が生じたようである。この話は微妙に過ぎ、人・形を作る人でなければつまらない話なので止めておく。そもそも失敗した話を自ら細かく解説する必要はない。当ブログ内で失敗するのは62歳で年金暮らしのKさん一人に任せている。  笛吹の女房で、踊りの師匠役のT屋のK子さんから、実家に帰ったらふんどしがあった、とメールが来た。若い漁師の二人組に必要なのだが、前に前掛けのように垂れる越中より、キリッとした六尺の方が良い気がするが、かさ張る物でなし、持ち帰ってもらうことにした。 翌朝、Kさんより「ふんどし届いてます」。とメール。朝T屋に行って飲むのは止める、と減らしていたが。行ったとしても時計を気にしながら、昼の準備に、二日酔いで人を殺した後のような顔で御主人が降りてくる前に帰るのだが、主人が入院以来、連日通いつめである。普通の神経の持ち主なら、このあからさまな豹変ぶりは恥ずかしいはずだが、一ぺんに3本の歯を抜かれた時に、周辺の神経もついでにズルリと抜かれているので平気である。   MさんはKさんを面白がっていじるのだが、Kさんはからかわれているのに気づかない。先日、そんなにKさんが面白いというなら、とMさんに真ん中に座ってもらい12時過ぎまで飲んだ。なにしろ昼間睡眠充分である。つまらない女性の話の繰り返しを延々。Mさんからは次第に笑顔が消えていった。私はMさんを風よけにして腹の中で『ほら、全然面白くないでしょ?』そのしつこさはカワウソの皮を被ったマムシの如しである。Mさんは私と違って人生経験が豊富である。おそらくこれに懲りて以後は深入りせず、ヒットアンドアウエーで、蝶のように舞い蜂のように刺すことであろう。

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夕方笛吹の芸人役をやってもらったMさんから電話。これから6人でT千穂へ行くという。今日は東京フォーラムの岩崎宏美さんのコンサートで、私の母もご一緒している。これから楽屋にお邪魔し、それから向かうということであった。私は女性だけで行くと思い込んで参加していない。T千穂に行くと旅館の番頭役のTさんとHさん。程なく6人到着。Mさん夫妻に友人夫妻、母。いつも採りたてピーマンをドアノブにかけておいてくれる80歳のSさん。元大工で、Sさん手製の子宝祈願の男根を作中に登場させることはブログにも書いた。 話を聞くと宏美さんは真っ先に「お母さん」。と私の母に声をかけてくれたそうで感激していた。帝劇の楽屋では御主人の今拓哉さんに「ハグして」といって私に写真を撮らせた83歳である。実家にはご夫妻との写真、ハグ写真はいずれもサイン入で額装し、ちゃんと客に気付かれる位置に飾ってある。 Sさんは以前みんなで飲んだとき、私が「Sさんの耳福耳だよね」。といったら宏美さんが後ろから摘んだことがある。数日耳を洗わなかったSさんである。以来、宏美さんに耳を摘まれるのが恒例になった。声は坂上二郎、顔は“鉄人”ルー・テーズに似ている老人の嬉しそうな表情。私にピーマン届けるくらい当然といえよう。 本日も衆人の見守る中、儀式は執り行われたようである。しかしあまり喜びすぎるのも御老体には毒である。なんでも腹八分が良い。お手拭きで片耳だけ拭いてやった。みんなの手前、慌てるわけにいかないSさんであった。

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森鴎外像を出品する『鴎外の書斎から -生誕150年記念 森鴎外旧蔵書展-』10月18日(木)~11月16日(金)は医学部図書館ではなく総合図書館(東京大学附属図書館)であった。鴎外は19歳で東大卒業という今では破りようのない記録の持ち主である。 

この鴎外像は、そこまで塗ったならついでに塗っておけばいいじゃないか、というぐらい背中の着彩をピタリと止めている。締切ギリギリでやっていたわけで、撮影したのは入稿日の朝であった。 先日の丸善の出品作にも感じたが、旧作を塗り直したりしていると、その時の想い、もしくは企みが記録されていてリアルに甦ってくる。この鴎外、軍医総監として制作したが、実に貫禄のある、まさに文豪と呼ぶにふさわしい面構えである。度々書いているが、明治以降の作家の顔は、あきらかに変わってきている。作家に限ったことではないのかもしれないが、食べ物の変化の影響もあるだろうし、しばらくジッとしていなければならなかった写真のせいでこわばった難しい顔をしていたり。職業としてものを書く、ということの意味も現在とは違っていたであろう。著作権という考え方を海外より持ち込んだのは鴎外である。それまでは最初に発表した原稿に対する原稿料だけが作家に支払われ、後は全集が作られようが何しようが作家には何も支払われなかった。物書きは全員、鴎外に足を向けて寝られない、といったのは正宗白鳥だったろうか。
丸髷の女房のカツラだが、かんざしや櫛などないと変だろう、とヤフオクに入札したまま飲みに行った。久しぶりにRさんとKさんと。相変わらず周囲に気を使うことが一切できず、私などいないかのようにRさんだけを見つめ、憑かれたように喋り続ける62歳に心底ウンザリする。このオデコに避雷針を立て、雷鳴とどろく嵐の日に、外に放り出してみたい、と想像していた。 帰宅したら、漆塗 本鼈甲 笄 櫛5点を落札していた。ラッキーだったが、シックで豪華過ぎる気も少々。

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荒俣宏さんの著書の中に、白人が大きな帆船である島に着く。しかし原住民は白人を見たことがなく、大きな船だって見たことがない。結果、白人が島の中を歩いていても認識できない、というような話があった。人と自分とは世界の見え方が違っているのではないか、と少しでも疑ったことがある人には興味深い話であろう。   ごく近所に、三角形のヒレのような物がついているビルがある。これは看板でもなんでもなく、もちろん風を切るためでもなく、なんでついているのか不明である。ずっと気になっていたが、何年か前に、このビルの中の会社に勤めている人と酒場で会った。しかしヒレ自体を知らないという。出入口は反対側にあって、目にすることがないのか、とも思ったが、勤めるビルの周囲を一周したことくらいあるだろう。ところが最近、彼がこのヒレの下を歩いて会社に入るところを目撃した。聞いてみたが、まだ知らないという。 そんなことがあるのだろうか。かなりイライラしてきた。そしてその時は来た。このビルはK本の向かいなので、ひょいと見上げれば見える。「ほらあそこのアレ」。すると「ホントだ」。勤続25年の彼はいった。 あんなデカくて意味不明な物がくっついてる会社に25年。行き帰りに下を歩いて気がつかないという。そう考えると、世の中になくたって誰も困らない物を作ることが大変なのは、当然である。

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コードというものは、なぜこれほど絡み合うのであろうか。陶芸家を目指していた頃、その工房は納屋を改造したものであったが、ズルっと音がして天井の隙間から何匹もの蛇が絡まった、蛇玉とでもいうものが垂れ下がったことがある。絡まったコードを見ているとあれを想い出すのである。解こうとすると、どう考えても人為的に結んだとしか思えず、私が寝ている間に小さなボーイスカウトが活動しているようである。固定カメラを仕掛けて、結ばれていく過程を見てみたいものである。必ず輪のあいだを通って結ばれる瞬間があるはずである。  いよいよ主役の河童をあとなんポーズ作るか検討に入る。それが決まれば、作る表情も決まってくる。くしゃくしゃになってしまったコピーを持って喫茶店へ。私は新聞を読んでもすぐにクシャクシャになり元に戻らない。この『貝の穴に河童の居る事』に関していえば、私はもっとも読んだ回数が多い人間であろう。数ヶ月間、他の小説は一切目にしていない。 河童の三郎という哀れな生き物は、哀れがゆえに可笑しい。三郎は当然オスであるが、こういった点はあきらかに男性の専門分野であり、それに対し哀れな女性は可笑しくなりにくい。それは女性の噺家が少ないことと無縁ではないだろう。なぜそうなのかは知らないが、子宮という器官が笑われることを拒んでいるようである。   『鴎外の書斎から -生誕150年記念 森鴎外旧蔵書展-』10/18~11/16(東京大学 附属図書館)に出品予定の鴎外像であるが、頭部が完成したら、目測でいきなり身体を作り始める私が、珍しく頭と身体のバランスが取れておらず、画像を修正している。さらに展示が目的ではなく、いつも締切ギリギリだったので、写らないところは作っておらず、大分手を入れないとならない。そう思うと、文豪調の姿を一から作った方が早かったかもしれないが、医学部図書館だからこそ軍医総監の姿が良いわけで、死ぬまで脚気菌説を曲げなかった頑固な人物という感じを醸しているわけである。

訂正;医学部図書館⇒総合図書館(=附属図書館)

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丸善『人・形展』の初日に、いつも来ていただく方に「今日はKさんは?」と聞かれた。定年以後ヒマなのでいつも搬入を付き合ってもらうのだが、搬入を2日に分けたので、来てもらう必用がなかった。 Kさんは猛暑のせいで夏バテ気味だったし、朝から呑んでしまって一日中ベロベロということがなくなっていたのだが。  当ブログを読んでいる地元の人達にいじられるので、Kさんを妙に喜ばせてしまった。みんなで飲んでいるところへニコニコしながら近づいてきて「こんばんわ」。キャバレーの螺旋階段を降りてきた小林旭か?少々勘違いしている。そんな状態を店の向うで聞いていると、カナカナとしか聴こえない高笑いをしているが、そのうち静かになる。初めこそ“あのKさんだ”ということになるが、特に面白いことをいう訳ではないし、座の中心になって盛り上げられる人ではないので、話題は当然他に移り、かまってもらえないKさんは以降ただ黙っていることになる。それもなんだか可愛そうで、登場回数を減らしていた訳である。 猛暑も終わり、当人は相変わらずニコニコしている。ただニコニコしていれば良い、というものではない。不景気だ、と嘆く店の人の前で、今日は○人しか客がこなかった、と楽しそうに話すので注意をした。別の店では、ご主人が緊急入院した、という奥さんの前で、満面の笑みで何がそんなに嬉しい、という顔をするので、こういう時は惚れた女に「私男なの」といわれてショックを受けた、あの時の顔をすべきだろ、とさらに注意をした。Kさんが最近大人しかったのは、ひとえにこのショックのせいである。もちろんそんなことを信じるのはKさんだけであるが、周囲はいい加減カミナリにでも打たれてしまえ、と思っているので、この冗談に乗っかっている。おかげで河童に尻子玉を抜かれたように大人しくなった。それがKさんならではの独自捜査で、「やっぱり女だった」。と嬉しそうにいっていたのは先日である。と同時に、また朝から呑んでいる。元の木阿弥である。ただ幸いなことに、何パーセントかは男かもしれない、と思っているらしく、二人で撮った待ち受け画面を人に見せては「男に見える?」と聞いている。 人は頭前皮質腹内側部が損傷を受けていると騙されやすくなり、年をとるにつれて悪化することが多いらしい。酔っ払ってぶつけた、32針を頂点とするオデコの数々の傷をつい眺めてしまう。前頭前皮質といえば、どうせこのすぐ裏側であろう。



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