明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



いよいよ河童の三郎初登場のカットを制作。神社に続く石段を、杖をついて登る後ろ姿である。そしてそれに続く石段を上り始めた河童と、石段の下を横切ろうとする漁師とすれ違うシーン。三郎は漁師に捕らえられ、血だらけで吊るされている魚に向かっていう「無惨や、そのざまよ。」三郎の眼がピカピカと光って「我も世を呪えや。」自分は人間に腕を折られているし、お前はモリでズタズタにされている。世を呪え、というわけである。こんな奇妙な場面を作ることができたのは鏡花先生のおかげである。 三郎は可愛らしいキャラクターにしないことは始めから決めていた。私にとって妖怪は気持ち悪いから良いのである。しかし撮影してみたら、気持ち悪さにおいては、私の想定をちょっと超えてしまったかもしれない。フランケンシュタイン博士もこんな気分だったろう。メアリー・シェリーの原作を読んだのは中学の授業中であったが、映画とは大分違い、父親に愛されない息子の悲しい話だったような印象がある。 気持ち悪さの一因は、顔面に張り付いた濡れた髪である。これがしたかったので人毛を使うのを止めたのだが。縮尺からして人毛では針金のようになり、こうはいかない。

表紙を担当した『笑う奴ほどよく眠る』大崎洋吉本興行社長物語(幻冬舎)は評判のようである。私も制作中に二度読んでしまった。普段物故者ばかり制作している私としては、社長のご指名だったにもかかわらず、御本人からの評価が聞こえてこないのが気になっていたが、目出度く収蔵されることが決まった。始めから写らないことが判っていた部分は作っていないので作らなければならない。この直後にドストエフスキーを作ったのだから、なかなか振幅の激しいことであった。

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午前中に、神社額の前にひれ伏す河童の三郎を作る。いよいよ姫神様に人間どもへの復讐を願いでるわけである。そこでまず登場するのが、姫神の後見人?柳田國男の翁である。河童の皿がまだできていないが、後ろ向きで地面に頭をこすりつけている場面なので頭部が見えない。なんであろうとまず三郎を一カット撮りたかった。鏡花の文章は時に時間が前後する。おかげでたびたび作り間違えてしまった。読んですぐに画が浮かんでしまい、それが頭の中で固定してしまうせいである。そこで私も時間をいじってみた。右ページにひれ伏す三郎。左に初登場の翁。白い蝶を左から右に、一瞬前の時間に向け飛ばしてみた。書籍ならではである。 午後ようやく皿に毛を張り付ける。一度失敗していて二枚目。この一枚を使い回しするつもり。これで明日は怒濤の撮影に入る。制作となるとせっかちな私が、主役の河童の撮影を、何ヶ月待ったことであろう。

5時半に木場駅でYさんと待ち合わせ志らく一門会へ。私は国立の知人のお誘いで、嵐山光三郎さん主宰の落語会で志らくさんの噺を何度か聴いている。始めて伺ったときに二次会に参加したら、唯一空いている席が正面が嵐山さん。横が志らくさんという、人見知りには針のムシロだったことを覚えている。たまたま廊下で出番を待つ志らくさんの死にそうな?横顔を見てしまい、芸人魂に触れた気がした直後だったのでなおさらであった。 Yさんがゲストのミッキー亭カーチスことミッキー・カーチスさんの楽屋へ顔を出すというので、古今亭志ん生のプリントを持ってきた。志ん生を拝ませてやろうと他の楽屋に見せに行くミッキーさん。最初の結婚式の乾杯の音頭をとったのは志ん生だったそうである。いやはや。ひとくさり志ん生の口まね。そっくり。Yさんから聞いてはいたが、大変気さくで、TVで拝見するそのままの方であった。今日はまだ演目を決めていないという。 開演。しかしここで肝心なことが発覚。本日は志らく一門会にかかわらず志らくさんの出番はなし。なにしろ誘ってくれてチケットを取ってくれたYさんが、私と一緒に驚いている始末である。今日のハイライトはミッキーさんの『饅頭怖い』となる。饅頭怖いのが隣の外人というのがミッキーさんならでは。 休憩になりどっと疲れがでた。どうもさっきから足許がふらついている。寝不足である。そこで急遽有楽町のガード下に飲みに行くことに。Yさんと久しぶりにああだこうだと楽しく過ごす。

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漁師の若者は近所の町会の神輿担ぎの2人にお願いした。丸太に血だらけの大きな魚をぶら下げる。当初はフンドシ姿に抵抗がないだろう、ということで深川のお祭り男を選んだのであるが、当たり前といえば当たり前だが、むしろ丸太を担ぐ姿が堂に入っていて画になっている。鉢巻きも昨日今日ではこうはいかない。 怪獣映画でも最初に怪獣と遭遇する人物のキャラクターは重要である。そもそも河童の復讐譚であるが、河童を直接目撃するのはこの2人だけである。担ぐ姿が肝心で参加してもらったのだが、2人の顔があまりに良く、出演場面を増やすことになった。粘土で作った丸太を合成して完成。マンションの駐車場や屋上で撮影したが、完成作品を見て一番驚くのはこの2人であろう。一人は大学でラグビーをやっていたそうだが、河童に驚いて逃げる姿を、いかにもな鈍足に変えてしまった。申し訳ないことではある。 思えば担がれるイシナギの穫れたてを送ってもらってから、ずいぶんかかってしまった。最初に東北の鮮魚店のサイトを見つけ、撮影の際には、と安心していたら連絡がとれなくて慌てた。更新された日時を考えると震災の影響であることは明らかである。そして二軒目を見つけた。そこは毎日入荷した魚の画像をアップしていた。イシナギといってもあまりにも大きな魚であるし、鏡花も作中いっているが、一般人が簡単に目にする魚でもない。粘土で作ることも考えたし、編集者はスズキで代用したらどうか、といっていたが、小さいとはいえ、本物にこだわってよかった。鏡花は異常な潔癖性である。そう思うと、鏡花の描くところの河童の生臭いベトベト感や、血をしたたらせた魚の描写は、だからこその重要なポイントと考えていた。血糊こそ私のお手製だが、魚の生々しさは物語にひと味加えてくれているはずである。よく見たら、目玉に撮影している私と、屋上の手すりが写り込んでいたので修正した

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古石場文化センター内音楽スタジオ 音楽の趣味がバラバラの3人である。カモン・エブリバデーはヘビメタ好きのSさんとの落とし所として決まった。私は元祖のエデイ・コクランには馴染みがあるし、中学生の時にヒットしたUFOのハードロックバージョンも耳に残っていた。後にマイケル・シェンカーが加入し、雰囲気が変わったようであるが、マイケル・シェンカー好きでもあるSさんは、マイケル・シェンカーモデルの矢印型フライングVを持ってきた。50歳目前のSさんに、まさかこんなギターもって家から出るとは思わなかったろ?もっと嬉しそうな顔したまえ。という。実は私もフライングVを持っているが、倒してネックを折ってしまった。 今回からYさんがベースに回ることになった。学生時代授業でラジオを作ったが、Yさんだけ音が出なかった。これはYさんからぶきっちょエピソードとした聞いた話だが、なるほど指が思ったように動かないようであるが、ポール・マッカートニー好きなのでベースの方が良さそうである。とりあえず大きな音で繰り返し練習する。爽快なり。 いつもはこの後打ち上げだが、何しろ午前中である。そば屋でビールで大人しく。

河童の三郎が持っている杖に色を塗る。こんな杖はおりん婆さんで一度作った。漁師2人がイシナギを担ぐ丸太は、丸太といわないまでも木の棒を使うつもりでいたが、探すのも面倒作った方が早い、と粘土で作った。いつかどこかで見た、椎茸栽培用の丸太風にしてみた。これにも色を塗り完成。 三郎は普段は身長90センチくらいであるから、案山子からはいだ着物はだぶだぶであろう、帯は布でなく荒縄に決めた。これも村山槐多と稲垣足穂ですでに経験済みである。槐多は帯まで質に入れてしまったというし、足穂は個展に来ていただいた方に、子供の頃足穂が近所に住んでおり、荒縄を巻いた姿で酒の配給の先頭に並んでいたと聞いた。

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河童の着彩終了。甲羅は3つ目に制作した物である。1つ目が亀そのもの。2つ目は青磁風の色と質感にした。3つ目は、身体からはみ出す大きさだったのを、少々小型にしてフィットさせた。2つ目は青磁という頭もあり、艶のある質感にしたが、濡らして撮影することを考えると、ザラザラした質感の方が良いと考え、身体同様、甲羅も磨いたりせずそのままにした。甲羅は特に艶のある磁器のようにしてしまうと、水をはじき、水滴が玉のように付くであろう。この水滴の大きさが河童の本当のサイズを明らかにしてしまう。特撮の神様、円谷英二でさえ火炎とともに、水の飛沫、波などには苦労したはずである。模型を大きくすることで対処するしかない。身体の方も艶消しのざらざらのほうが、水気を表面に保持してくれるであろう。 来週はいよいよ主役の撮影に入る。打ち合わせが来週に延期になったので、それまでにできるだけ完成させておきたい。 そういえばどこへ仕舞ったろうか。河童のヌルヌルを表現するために入手しておいたさるローションは?検索してどこかのサイトで注文したのだが、使用法がにわかには判りかねるような物まで入手しそうになるので、早急に探し出さなければならない。ヌルヌルといえば柔道着に細工していた卑怯千万な柔道家がいたが、未だにツラを見ただけでムカついてくる。

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河童は鎮守の杜の姫神様に気をつかって、案山子の着物を剥いで着てくる。鏡花のことであるから、主役の着物がどんな模様だ、と書いていないのは無地だろうと思っていたが、20数センチほどの河童が、濡れて甲羅の形どころか色まで透けるような生地にしたい、と考えると、布の質感に期待はできない。となると無地ではあまりに愛想がない。正絹の端切をネットにて注文。河童のサイズを考えて小紋を選んでみた。 もうほとんどのカットの背景は完成していて、あとは異界の住人を参入させるだけである。河童が自分を棚に上げ、人間に復讐をしてもらおうと鎮守の杜に出かけてくるのだが、人間共が、自分たちが街中でしゃもじやスリコギを持って踊ってしまったり、こんな妙なことをしてしまうのは、神様に障ったせいであろう、と奉納の踊りを捧げる。ととたんに河童の機嫌がなおり帰っていくことになる。翁はカラスに付き添いを命じる。陽も暮れかかり街は行水時である。娘の尻を触ろうとしてケガをした河童が、行水中の娘のスネに迷って落ちてしまいかねないからである。このクライマックスを迎えるあたりがかなり性急であり、どう処理してよいか決めかねている。面白い描写満載ではあるが、数行ごとに画にしているスペースはない。子供の頃は、こうして機嫌が急に治ると“今泣いたカラスがもう笑った♪”とからかわれたものである。 去年の今頃だったろうか。ファンのR子さんに性転換して今は男だ、といわれてすっかり信じた60歳過ぎの陸(おか)河童がいた。何をバカなことを、とならずに私の方を向いて「知ってたの?!」といったときは笑うこともできず唖然としてしまった。それからしばらく下を向いて死んだフナみたいな顔をしていたが、「そんなわけないだろ」といってあげる人は誰もいない。そのほうが大人しくて助かるし、断然面白いからである。しかし撮影の手伝いに房総へ行ってもらうことになっていた私は「冗談に決まってる」。といってしまった。そのとたんの満面の笑みにすぐ後悔してしまい、今だに後悔しっぱなしである。R子さんにはそろそろ、次の妖怪封じの護符発行をお願いしたいところである。

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刺青見学も三回目である。すでに太腿から腰の上まで進んでおり立体感が大分でていた。本日印象的だった彫Sの話は、昔は人間の体液の匂いが耐えられなくて、慣れるのが大変だったそうである。彫りながら紙でインクを拭き取るのだが、たぶんこれもそういう匂いがするという。好奇心旺盛な私だが、どれどれ、と目の前に横たわっている女性の体液を嗅ぐわけには、さすがにいかない。彫られている女性は、これが終わればおしまいにするという。しかし、しばらくするとまた入れたくなるものらしい。その時は止めてくれるよう彫Sにいってあるそうである。最後に終わった部分を撮影しておくのだが、リンパ液だろうか、ヌラネラとしたものが滲みだしていた。 そのまま銀座に行き、伊東屋で河童に塗る絵の具を買い、K本に寄る。常連席は一杯。帰ろうとすると、それ以外の席は空いているではないか。そこから見ると常連は、狭い所でなにもそんなにカラス貝のようにカタマっていなくても、と見える。 体調を崩している父親の代わりにT屋を手伝っている長男が飲みにきて、今オヤジがいる、というのでみんなで行ってみると、すでに休んでいた。先日長女のAちゃんが婚約したというガセ情報のネタ元は、この長男である、なにしろ近所で大蛇を見たというのだから、姉さんを婚約させることぐらい朝飯前であろう。カウンターには、ここのオヤジと一緒に、前の川でカワウが大ウナギを丸呑みしているのを見たといいはる◯さん改めK2さん。 昨年房総で撮影したカットに、娘が脱いだ足袋に河童がかくれ、娘たちを盗み見している、というのがある。ヨーカ堂で足袋を買って持っていったのであるが、脱いだ足袋にしては新品に見える。こういうことは完成に向かいつつあると気になってくる。T屋のかみさんに足袋を借りた。このかみさんは近所で河童を見たといっている。私にいわせれば、大ウナギを見たオヤジに河童を見たかみさん。そして大蛇を見た長男。なぜ家族としてそのことについて話し合わない。といいたいが、五人も子供のいる大所帯。家族関係を保つためには、あきらかにせず知らないフリも必用なのであろう。 本日は帰宅後仕事をするつもりが飲み過ぎてしまった。長女のAちゃんが大ウナギを丸呑みしているところを想像しながら帰った。

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久しぶりに編集者から電話。進行具合を説明すると「もうライフワークですね?」と皮肉をいう。被写体を作って撮影しているのだから時間はかかる。背景にしてもほとんどそのままでは使えず、大改造しなければならない。今週久しぶりの打ち合わせが決まる。四回目であろうか。ライフワークの打ち合わせにしては少ないような気がするのだが。 前回の打ち合わせもそうだが、あれを入れようこれを削ろうということになる。作った作品は、すべて載せたいのは当然だが、客観的な編集者の目も必用である。 ビジュアル化するのであるから今の場面がどういう状況か、読む人がイメージできなくては話にならない。私が始めて鏡花を読んだ時は、いつのまにか私とあなたが入れ替わってしまう始末であったが、その後も良く判らないことがあっても、曖昧なまま鏡花のリズムに乗って読み進めてしまっていたな、と反省している。せっかく鏡花が原稿用紙を清めながら書いた作品である。隅々まで噛みしめ味わうべきであろう。 現在は絶版のようだが、河出書房新社の鏡花幻想譚全五巻は、それぞれの作品の冒頭に、簡潔なイラストの地図が掲載されており、鏡花的空間で迷子になった読者には親切である。『絵本春の巻』には『貝の穴に河童が居る事』も収められている。 そう思うと方向音痴の私が、最初に舞台とされている神社に行ったのは正解であった。ここをこう行って、そこを曲がるとおおよそ鏡花が書いた通りの光景だったのには感激した、間違いなく鏡花はこの細道を歩いたのだな、と。鏡花と私の2人だけが時間を超えてすれ違っているような奇妙な気分に襲われた。もっとも時代が違う。神社はともかく周辺等、劇的に変わってしまったのを、作中の光景に近づけてみた。 そしてモニターを前にこれを書いている窓の下には、鏡花が『葛飾砂子』で描いた川が流れており、鏡花は作中の人物のように舟に乗り、ここを通って州崎の遊郭街に出かけたことであろう。あらゆる病気の感染をおそれる鏡花が、どんな遊びをしたのか、興味深いところである。誰かが書いていたが、舟遊びをする鏡花の舟が通り過ぎるのを橋の上からでも目撃したのであろう。重箱の蓋の端を持ち上げ、覗き込むように隙間から肴を取り出すと、すぐ蓋をする。ハエがたかるのを恐れてのことであろう。

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