明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



久しぶりに編集者から電話。進行具合を説明すると「もうライフワークですね?」と皮肉をいう。被写体を作って撮影しているのだから時間はかかる。背景にしてもほとんどそのままでは使えず、大改造しなければならない。今週久しぶりの打ち合わせが決まる。四回目であろうか。ライフワークの打ち合わせにしては少ないような気がするのだが。 前回の打ち合わせもそうだが、あれを入れようこれを削ろうということになる。作った作品は、すべて載せたいのは当然だが、客観的な編集者の目も必用である。 ビジュアル化するのであるから今の場面がどういう状況か、読む人がイメージできなくては話にならない。私が始めて鏡花を読んだ時は、いつのまにか私とあなたが入れ替わってしまう始末であったが、その後も良く判らないことがあっても、曖昧なまま鏡花のリズムに乗って読み進めてしまっていたな、と反省している。せっかく鏡花が原稿用紙を清めながら書いた作品である。隅々まで噛みしめ味わうべきであろう。 現在は絶版のようだが、河出書房新社の鏡花幻想譚全五巻は、それぞれの作品の冒頭に、簡潔なイラストの地図が掲載されており、鏡花的空間で迷子になった読者には親切である。『絵本春の巻』には『貝の穴に河童が居る事』も収められている。 そう思うと方向音痴の私が、最初に舞台とされている神社に行ったのは正解であった。ここをこう行って、そこを曲がるとおおよそ鏡花が書いた通りの光景だったのには感激した、間違いなく鏡花はこの細道を歩いたのだな、と。鏡花と私の2人だけが時間を超えてすれ違っているような奇妙な気分に襲われた。もっとも時代が違う。神社はともかく周辺等、劇的に変わってしまったのを、作中の光景に近づけてみた。 そしてモニターを前にこれを書いている窓の下には、鏡花が『葛飾砂子』で描いた川が流れており、鏡花は作中の人物のように舟に乗り、ここを通って州崎の遊郭街に出かけたことであろう。あらゆる病気の感染をおそれる鏡花が、どんな遊びをしたのか、興味深いところである。誰かが書いていたが、舟遊びをする鏡花の舟が通り過ぎるのを橋の上からでも目撃したのであろう。重箱の蓋の端を持ち上げ、覗き込むように隙間から肴を取り出すと、すぐ蓋をする。ハエがたかるのを恐れてのことであろう。

過去の雑記

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