明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



タイトルは『貝の穴に河童が居る事』である。貝の穴に河童が居るカットと、マテ貝のカットは必用だと考えたが、スペースがないので二つを合体させ、穴の中で三郎が諏訪の御柱祭のように、マテ貝に跨がっているカットを考え、ようやく三郎を跨がらせた。マテ貝は撮影直後焼いて食べたが、味が濃くて美味であった。そこらで見かけないのが残念である。 娘の目が穴に蓋をするように覗いている。いくらお転婆だといっても、着物の女性が蓋になるほど浜に伏せて覗くことはありえないだろうが、おかげで面白い画になった。三郎はその目の美しさに見とれているところを、旅館の番頭にステッキで腕を根本から折られてしまう。 鏡花という人は関心の有ることと無いことがはっきりしているタイプなのかもしれない。私も小学校の1年の時から、通知表に延々と書かれ続けた口であるが。たとえば三郎に対して主役であるにもかかわらず、その造形にはほとんど関心を示していない。ただ青くヌラヌラベトベト生臭いだけである。異常といえる潔癖症の鏡花は、姿形はともかく、やたら不潔で嫌な感じの奴だ、といいたいのであろう。舌を出せば“青ミミズのよう”である。ビジュアル化している私としては、肝心の河童を好きにつくれるので好都合ではある。 空を飛んだり、なかなかの神通力の持ち主だが、あとはただ一般に伝わっているような、好色なオッチョコチョイである。この点を柳田國男に「河童を馬鹿にしてござる」。と評されてしまうわけである。 ところで今書いていて一つ思いついた。鏡花はばい菌恐怖症でハエが大の苦手である。キセルの吸い口には紙のキャップをしているし、重箱から料理を取り出す時もそっと蓋を開け、すぐ閉じる。先日三郎に鼻水をたらしてみたが、ハエをとまらせたらどうであろう。不潔感は一発で表現できる。鏡花先生、あなたの河童はつまりこういう奴でしょ?「な、なにもそこまで!」。

「無惨やそのざまよ。我も世を呪えや」

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